鈴木のショウちゃんへ

コメントありがとう。

いや、二人の秘書が全く同じに見えた、ということはもちろんないよ。もちろんないけど、役作りの方向が戯曲に書かれていることに忠実すぎるのかな、という印象をちょっと受けました。田辺さんが田辺さんの戯曲を演出した作品も見たことがあるけれど、今回の二人の演出家の作品も、田辺さんが演出した作品と似た雰囲気の作品になっているなと感じました。それはもしかしたら、戯曲が同じなのだからしかたないことなのかもしれないけれど。


どちらの演出も、戯曲に書かれたことをちゃんと表現しようとしているみたいに見えました。ちゃんとする、ということを意識しすぎて、すこし窮屈に、不自由になっているのかな、という印象を受けた。
時間や手間やお金なんかをかけて作品を作るとなると、やっぱりちゃんとしたものを作らなくては、ということを考えてしまうけれども、でももっとちゃんとしていないものをつくってもいいんじゃないかな、と最近かんがえてます。
変なものとか破綻したものとかバカらしいものとか未完成のものとかバカっぽいものとかくだらないものとかをあえてやってしまうということを、芸術作品はやってもいいんじゃないかしら。いや、それはしかし手を抜いてもいいんだとか、適当にやってもいいんだ、ということじゃなくて、「こんな演劇作品を上演するなんて、あの演出家はバカなんじゃないか」と思われることを恐れないでやりきる、というような。「こんなことをやってしまってはバカな演出家だと思われる!」という自己規制と戦いながら作る、みたいな。「王様は裸で歩いて頭が悪いんじゃないか!」と言われても、「俺の着ている服が見えないお前の目の方が悪いんだ!」と答える王様みたいな。


僕ならたとえばこんな風にしてみたい↓

犬ハンター・・・色白でひょろ ひょろした体の弱そうな人。腰が低くおどおどしている。暑くもないのにいつも汗をかいていて、ハンカチを手放さない。いや、それはハンカチなどではなく、タオル生地の犬のぬいぐるみなのかもしれない。愛想が良くいつも笑っているけれど、笑うときは相手の目を見ない。相手の目を見るときは真顔になる。犬を追いかけた冒険の話をするが、つっかえたりどもったりで、どうもその場で作った嘘の話をしているように見える。なにか自分に都合の悪いことを隠そうとして、一生懸命に嘘を考えるが、それを聞く人はその話をうすうす嘘だと分かりつつそれでも信じたふりをして聞いている。

秘書・・・めったに笑わない。誰かを正面から見ることをせず、常に視界の隅で見る。たとえばテーブルの上の花瓶を見つつ、テーブルの横にいる人を目の端っこで見ている。常にキャラメルをにちゃにちゃと食べている。ひどく背が低く、常にへりくだり、小声でしゃべるがその声を聞く人は秘書から尊大な印象しか受けない。人にしゃべりかけるときは相手の近くにある物(花瓶など)に向かってしゃべる。あるいは相手に背を向けて、パソコンのディスプレイを見ながらしゃべる。

奥さん・・・人のことをアルコールくさいというくせに自分はアルコールを手ばなしたことのないキッチンドランカー。アルコールのせいで夢と現実の区別がつきにくく、思い違いをしょっちゅうしている。黄色い服が目にちかちかする。

娘・・・娘なのにもう45歳。建築家と二人だけの時には常に建築家の体をさわり、誘惑してくる。将来の夢はローラースケートで自由に滑れるようになることで、いつもローラースケートを持ち歩くが、なかなか履いてみる勇気が出ない。デニム生地のオーバーオールを着ている。

建築家・・・フリークスのたまり場みたいなこの村長の家の中でただひとりまともに見える人。しかし酔っぱらうと性欲が強くなり、肉感のあるたっぷりしたお尻などを鷲掴みしたくなる。近くにいたからという理由だけで、好きでもない村長の娘とできてしまい、そこから建築家の地獄が始まる。気の違った人たちから離れられなくなる。

と、こう書いてみるとすごく陰惨な作品になりそうな気がして来た。これをバカバカしく笑えるような、それでいて登場人物のそれぞれの気持ちに共感できるような、そんな作品をつくってみたいなあなどと妄想してみたりしてます。