今年も桜が咲いた。

こないだ久しぶりに甥を保育園に迎えに行ったのだが、「あ、おじさんだ!」と僕の方にかけよって来た子どもがなんだか知らない子どものようなので驚いた。僕の知っている甥はもう少し赤ちゃんに近い人だったようだが、このとき見たこの子はもうすでに少年と言ってもいいくらいのがっしりとした子どもで、走り方にもしゃべり方にも強い意思みたいなものが感じられる。いつの間にこの子はこんなに大きくなったのかとびっくりする。コンビニの前で「ホットケーキを買おう」と断固言い張るその意思の強さにこちらはたじたじとひるんでしまい、ついついホットケーキを買ってしまいそうになる。なんとか買い食いせずに帰ることができたけど。

 最近我が家のモットーになっているのは「チャンスには前髪しかない」という言葉で、この言葉を教えてくれたのは確か僕の父だった。どういう意味かというと、チャンスが向こうから走って来たときに前髪をぱっと捕まえなさい、という意味で、「後ろ髪を捕まえればいいや」と油断していると、チャンスは後頭部がつるつるだから、いくら手を伸ばしてもすべってしまって捕まえることができないんだ、ということ。
 近所の家で「米泥棒」という漬け物を売っている所があるんだけど、ついひと月ほど前にこの家の前を通ったときに「まあ、また今度通ったときでいいや」と前髪を捕まえそこねた。それでおととい「米泥棒」を買いに行ってみると見事に今期の米泥棒は売り切れになっていた。ああ、チャンスには前髪しかないんだな、見つけたときに買っておかないと一生後悔することもある。

 先月あたりから妻の弟にコーチをしてもらい、原チャリの練習を始めた。なんだか今年はからだで新しいことを覚える、という年みたいだ。織物の機械の運転にしてもそうだし、ベースの演奏にしてもそうだし。妻の弟とはバイク2台で西大路の喫茶店まで行き、帰り道のレンタルビデオ屋で映画を借りて、それからセルフサービスのガソリンスタンドに行き、ガソリンの入れ方を教えてもらった。

 先週金曜日の「大友良英のJAMJAMラジオ」は岸部一徳特集で、ものすごくタイムリーだなと夜中に妻とふたりで大騒ぎしていたのだった。「大友さんも岸部一徳好きだったのか」と、ますます僕は大友さんファンになってしまう。で、今週から始まったNHKの朝の連続テレビ小説の音楽も大友さんが作ってるようで、これからは毎朝8時からの15分間がとても楽しみになる。3月までやってた「純と愛」はなんだか不幸ばかりが続く話で、朝からとてもいやな気分にさせられ、もう12月くらいで見るのをやめてしまったのだった。武田鉄矢はねちねちと胸くその悪くなることばかり言ってて、もう、武田鉄矢のあのねちねちとした理屈っぽい声が一日中頭の中に繰り返し聞こえて来て、どんどん気がめいって行ったのだった。そりゃあ世の中不幸なことが多いのかもしれないけど、だからといって朝の連続テレビ小説まで不幸にしちゃわなくてもいいじゃんかよ、と思う。朝から不幸なドラマを見せられつづけたら、日本人はどんどん暗い気持ちになってしまうんじゃないのか。先週「純と愛」をちらっとだけ見たんだけど、いとしくんは最後の週に至って意識不明の寝たきりみたいなことになっていた。最後の最後はたぶんいとしくんの目が覚めてハッピーエンドだったんだろうと思うけど、それにしてもいやなドラマだった。