何年も前からずっと欲しい欲しいと思いながらもなかなか買うことのできなかったオイルポットがとうとう手に入ったので、フライドポテトや天ぷらなど油物を山のように食べる日々が続く。天ぷらを揚げた後の油はオイルポットに入れて保存しているのだけれど、その油が目に見えてどんどん減る。あの油がすべて我々の体内に入ってしまったのかと思うと、いくらなんでも油のとりすぎでは、とそら恐ろしくなる。

 月曜日はUrBANGUILDでのライブに参加した。タイバンのif MASACAさんのギターの音がとても気持ちよくてうなる。if MASACAさんの弾くギターが振動させるUrBANGUILDの空気に、耳だけじゃなくてこちらのからだ全体がぶるぶると共振して、このぶるぶるがひたすら気持ち良かった。ああ、こういうぶるぶるはパソコンのスピーカーとかiPhoneにつないだヘッドホンとかからじゃ体験できないなあと、ライブを聴きに行くということの良さをあらためて噛みしめながら、ふと死んでしまった小学校の同級生のことを思い出す。死んでしまったらこんなに気持ちのいい音も聞くことができないんだぜ、と思う。なんで死んじゃったんだよ、と思う。
 それにしてもライブハウスで演奏するのなんて何年ぶりか。10年以上ぶりだ。まさか35歳になってバンドをまた始めるとは思ってもみなかった。バンドなんて二十代の人がやるもんなんだろうなと、なんとなく思ってたけど、おっさんになってからバンドに参加をしてもぜんぜん楽しめるんだねと、むしろ大学生の頃よりもずっと楽しく演奏できるじゃんかと、なんだかすごく得をしたような気分だ。前にベニシアさんの講演を聞きにいったとき、ベニシアさんは「人生40歳からだよ」といってたけど、俺は今35歳だけど、なんかベニシアさんの言ってたことがふむふむと腑に落ちるような気がする。35歳過ぎてからもこんなに得をすることがあるというのに、あいつはなんで死んでしまったのか。
 「演奏家にとって重要なのはコンサートより日々の練習の方なのではないか。日々弾くピアノの結び目のようにしてコンサートがある」と保坂和志が『カフカ式練習帳』のあとがきに書いているんだけど、僕もそんな境地に早くたどり着きたい。今はまだ「ライブで発表する」という目標がまずあって、そこに向かって練習をしている感じなので。日々ごはんを食べるように、日々お風呂に入るように、日々の暮らしの中で、わざわざ楽器を弾くのでなしに、習慣みたいにして、習慣だということさえ頭に浮かばないくらいな様子で楽器を弾けたらと思う。
 そうはいっても、戯曲だって書きかけのやつがあるのだし、とりあえず次回のライブ出演は未定なので、さあ、今日から俺は戯曲に戻ろう。とか思いつつもYouTubeでif MASACAさんの演奏を探したりしていて時間がどんどん過ぎて行く。If MASACAさんの音楽のルーツは90年代アメリカの、アルバム1枚とかで消えてったマイナーなバンド達だ、というお話をされていたが、もしかしてif MASACAという名前はBRIAN JONESTOWN MASSACREへのオマージュなのだろうか。今度お会いしたら訊いてみよう。

 ところで、最近smithさんのブログhttp://d.hatena.ne.jp/smith13ri/をときどき読んでいるんだけど、そこに「ザ・タイガース」の「サリー」のベースがすごい、というようなことが書かれていたので、YouTubeザ・タイガースを探して見てみると、ああ、サリーっていうのは岸部一徳のことだったのか。岸部一徳がベースを弾いていたなんて僕はちっとも知らなかったよ。最近は録画した再放送の「相棒」を毎日晩ご飯のときに一話ずつみるという生活をしているのだけれど、「相棒」の小野田官房長を見る目が俄然違ってくる。官房長は若い頃、ロン毛でぶりぶりとベース弾いてたのですねと。

 しかもこんなにぴょんぴょん飛び跳ねながら!

 ところで、最近織物を作る会社に転職をした。今はまだ研修中で日々布を織る機械を操縦する練習をしている。この操縦がなかなかコツが必要だったり、微妙な調整が必要だったりで容易ではなく、その容易でないところがおもしろい。カタカタとリズミカルな織機の音を朝から夕方まで聞きながら、これで俺もリズム感ばっちりなミュージシャンになれるかしらと、そんなことを思ったり。しかし何よりも嬉しいのが土日祝日が休みということで、平日もたいがい五時前には帰れる。今まで長いこと図書館で司書をしていたのだけれど、図書館は開館時間が夜の十時までだったりして、なんだかぜんぜん演劇の稽古をするだとか、バンドの練習に参加するだとか、そんなこと思いも寄らない生活だったのだけれども、ああ、これからはアフターファイブを満喫できる人生なのねと、それが大変よろこばしい。