宵々山

noise-poitrine2013-07-14

 妻は朝早くに家を出て、妊婦友達のエリチャンと茶粥の講習会に出かけて行ったのだった。ついでに銭湯で行われる古本市(「フロホン市」というらしい)も冷やかしてみたり。甘夏ハウスの人がカレーライスの屋台みたいなのを出していたので、晩ご飯はカレーライス。帰りはエリチャンのダンナさんにクルマで送ってもらった。
 一方、私は家で留守番。小説と戯曲を書く。こないだネコ穴で聞いた話を小説に取り入れてみようと思い、頭から書き直している。冒頭はこんな感じ。
 私たちが子供だった頃は、どんな小さな村にも必ずひとりは昼間から仕事もせずぶらぶらと歩きまわり、公会堂の庭などでミヤマクワガタを捕まえては子供に配ってくれるような男の人がいたものだ。豊秋さんもそのような男の人のひとりで、夏になればほぼ毎日、緑色の蓋のついたプラスチック製の虫かごを持ってふらふらと出歩く姿が見受けられた。
 夕方になると、保育園の送迎バスが園児たちを母親のもとに送り届けてまわるのだが、いつの間にか園児に混じって豊秋さんがこれに乗っていることがある。豊秋さんの母親がどこかで豊秋さんを待っているわけではない。豊秋さんは毎回違う場所でバスを降り、ひとしきりそこらあたりをうろうろして、小学生の男子がいれば五十円やるから俺のちんぽこ見るか? と尋ねてみたりする。私もそのように尋ねられたことがある。しかし私はなんとなくそれを見るのは豊秋さんに悪いような気がして黙って首を振り断ったのだった。そうすると豊秋さんは神妙な顔で深くうなずき、虫かごから特別大きいミヤマクワガタを取り出し、私にくれた。私は他の子ほど虫に興味がなかったので、豊秋さんと別れたあとでそのクワガタを木の枝につかまらせて逃がしたのだが、クワガタを逃がしてしまったことで、やっぱり豊秋さんに悪いことをしてしまったのか、と寝る前にふとんのなかで反省したものだ。
 私が小学校一年のときに六年にいた保っちゃんは何度も豊秋さんに五十円をもらい、そうやって稼いだお金でビックリマンチョコだのガリガリ君だのうまい棒だのを買ったのだと自慢していた。
「すげえでけえんだ」
 と保っちゃんはいったものだ。
「たまげるぐれえでっけえんだ」
 それで私はビール瓶のようなちんぽこを想像したものだったが、どうやら大きいのはちんぽこではなく、キンタマの方であるらしい、ということがいろんな子供の話から徐々に分かってきた。それにしても男子ばかりにちんぽこを見せようとしたのはどういうわけだったのか? 性的な興奮を得るためというよりは、これから大人になるであろう男子諸君に本物のちんぽこというものを見せてやろう、おまえらも早く俺のようなりっぱなちんぽこを持つようになれよ、といった教育的なまなざしがそこにあったのか?
 今日は祇園祭の宵々山だ。なんだか宵々山あたりは毎年ザッと大雨が降るみたいで、今日もいかにも雨が降りそうな空模様、と思っていたら晴れてものすごく暑くなり、だったら洗濯でも、と洗濯物を干したらじゃぶじゃぶと豪雨。洗濯物は急遽玄関に干すことになった。
 五時からバンドの練習がある。妻から鈴鹿山のちまきを買うように聞いていたので、御池で地下鉄を降り、ちまきを買った。かわいらしい女の子が歌をうたってくれるんだよ、妻からはそう聞いていたのに、ちまきを売ってくれたのはおじさんであった。女の子はどこにいってしまったのか。
 傘をさしてスタジオへ向かう。けっこう人が多い。
 練習は五時から七時までの二時間。なんかリズムが走り気味でしっくりこない。雨のせいか。お祭りのせいか。
 じゃあ、いつものサイゼリヤで一杯百円のワインでも。と思って外に出ると、雨は上がり、烏丸通りは歩行者天国になっていて、浴衣を着て腕を絡ませあった美男美女とか、ベビーカーを押した若い夫婦とか、怒った顔のおばさんおじさん、阪神タイガースのズボンをはいてランドセルを背負い電気でカラフルに光る棒を頭に何本ものせた男、などが所狭しと歩いていて、サイゼリヤにたどり着くのも一苦労。

 これはギターやジャンベを背負って人ごみをかき分けてサイゼリヤに向かう私たちの写真。どうです。すごい人ごみでしょう!
 いつもはガラガラのサイゼリヤにみっしりと人があつまり、外には順番待ちの行列までできているのにたまげて、コンビニで発泡酒を買い、路上で立ったまま飲む。
 奥まったところにある空いてそうな飲み屋に移動。なんか、久しぶりに普通の居酒屋で飲む気がする。私はチャンジャに目がない。あのこりこりした食感がたまらない。たこわさびも好きだが、今日はチャンジャを注文し、ほぼひとりで全部たべてしまった。
 向かいのテーブルには浴衣を着た若い男女が十人ほどいて、なにやら合コンのようなことをしているのだった。