死ぬまで勉強

noise-poitrine2013-12-22

 今週あたりから娘が寝返りをうつようになった。

 妻と、妻の弟との会話。
 「課長島耕作は今では会長島耕作になっているらしい」
 「いや、ぜんぶやめてもう一回学校に行っているらしい」
 ビジネスを極めた人は学問の道に進むのか。やっぱり人生は一生勉強なのだな。

 『ウルトラ・ミラクル・ラブ・ストーリー』をDVDで。しかしマツケンさんが農薬を浴びすぎてどんどん調子が悪くなって行くのが気の毒で観ていられない。途中でやめてしまった。
 幼稚園の場面など観ていると、我々の娘も「猫ふんじゃった」なんて歌うようになったりするのかしら、そんな日がほんとうに来るのかしら、毎日泣いてばかりいた娘が歌なんて歌えるようになったらもう泣いてしまうね、とその日を想像して涙目。
 
 戯曲が佳作に選ばれたお祝いとして、義父から2万円もらう。戯曲を書くことでもらえたお金なので、今後の戯曲のやくにたつことに使おうと思い、書店に行き本を買う。

事典 世界音楽の本

事典 世界音楽の本

サイレンス

サイレンス

 ベケットの戯曲でも、と思っていたのに、なぜか音楽の本を買っちゃった。
 でも、音楽も、演劇も、人間が感じ、考えたことを身体の動きで表現するっていう点では同じなので、なんかすげえ勉強になる。
 たとえば、音楽の音は前に出された音と無関係ではあり得ない、と高橋さんは書いているんだけど、戯曲だって同じだな、と思ったり。それは、同じ作品のなかで前に発話された言葉、というだけでなく、ギリシア悲劇なり、ベケットなり、平田オリザなり、わっしょいハウスなり、過去に生きた作家たち、同時代の作家たちの書く、私の戯曲に先行する言葉と無関係ではいられない、ということ。いや、あたりまえといえばあたりまえのことなんだけども。

 賞金10万円もそのうち振り込まれるらしい。そしたら炬燵や喫茶店で戯曲がかけるラップトップのコンピュータを買いたいな、と思う。