東京ツアー

noise-poitrine2014-01-21

 こないだの土日に、バンドのメンバー6人でレンタカーを借りて、東京ツアーに行って来たのだった。6人のうち運転できないのは僕だけ。運転免許証はもっているんだけど、もう10年以上運転をしていないので、「あなたが運転をしては6人の命が危ない。免許証は置いていくように」と妻に言われた僕は免許証を家に置いてツアーにのぞんだ
 一番手の運転手に名のりをあげたキャプテンが、さっそく高速道路を大阪方面に走ってしまったときには、ああ、俺たちは今まさにツアーの醍醐味を味わっているのだな、とひどく興奮した。絵に描いたような失敗。適当なところで引き返し、東京へ。
 「富士山!」と指さす方を見ても雲しか見えない。目を上に上げると雲の上に富士山の頭が突き出していた。

 首都高のパニック・ポイントといわれる三宅坂ジャンクションを通ることができたのが嬉しかった。三宅坂ジャンクションがどうしてパニック・ポイントなのか、という理由をうろ覚えだったので、いまいちパニックの醍醐味を味わえなかったんだけど、でも「ああ、ここがそうなのか」と地下でうねうねとのたくる高速道路を見ながら感慨にふける。
あとで家に帰って本で調べてみたら、三宅坂ジャンクションは首都高の本線がいつの間にか新宿線の本線になってしまう、というジャンクションで、首都高の本線を走り続けるためには右に車線変更しないといけなくて、それでパニックになるという、そういうジャンクションだということだ。次にまたバンドでクルマで東京に行くときはこのことを覚えておいて、率先して助手席に乗り、「気をつけて! 右に車線変更!」と運転手に叫んで知らせたい。

 神保町についたのは1時頃だったかしら。リハーサルは3時半からだから、けっこう時間があまっている。ので、6人で神保町の古いコーヒー屋に入って時間をつぶす。僕は大学生のときに東京に住んでいて、神保町にはけっこう通っていたんだったけど、コーヒー屋になんて入ったことがなかった。大学生の僕はコーヒーを飲むお金を持っていなかった。いや、いくら大学生の僕が貧乏でも、600円くらいのお金は持っていた。しかし同じ600円をつかうならば安くていいラーメン屋で味噌ラーメンの大盛りとかを食べた方がお腹がふくれるし栄養になる、という考えで生きていたから、一人でコーヒー屋に入って、買ったばかりの古本をゆっくり読む、などという大人の時間を過ごすことができなかった。神保町で古本を買ったら立ち食いそば屋に入り、トッピングのネギを山盛り入れて、水も3杯か4杯飲んでお腹をふくらませて、そのままアパートに帰って古本を読む、という生き方しかできていなかったなあ、と十何年か前の自分を振り返って、36歳になってやっと大人の神保町を味わうことができた、と嬉しい。

 リハーサルのあと、さくら水産で飲む。お酒は薄い、食べ物の味もいまいち、店員はつっけんど、という安かろうまずかろうのわびしさが、なんとなくツアーの気分を盛り上げてくれるような気になり、楽しい。

 ツイッターやブログで宣伝をしていたので、東京に住む友達がけっこう聴きにきてくれた。中には5、6年ぶりで会う友達もいたりして、再会を喜ぶ。

 ライブのあと、バンドのメンバーはそれぞれの友人知人の家に泊まりに行く。僕が泊めてもらったのは、先月に結婚したKさん夫妻の新居。お風呂をわかして待っていてくれた。で、寝る前に軽く一杯飲もうかね、と3人で飲みはじめたら会話がどんどんはずんで、結局朝方の4時まで飲みつづけて話し続けて最後の方はだいぶへべれけに。
 10時に目をさまし、窓を開けたら空が真っ青で、この青さがなんとなく東京という感じがする。東京の音がゴーッと鳴っている。
 ふぐの卵巣のぬか漬けのお茶漬けを朝食にいただき、別れを惜しみつつKさんに駅までおくってもらう。駅に向かう道がなだらかな坂になっているのも東京という感じがするなあ。起伏のある東京の道を思う存分歩き回ってみたいなあ! と思うけど、今回の人生で僕はそんなことをする時間があるのかしら。大学生のときに歩き回っておけばよかったのにな、とちょっと後悔する。

 神保町に12時集合。神保町といえばカレーでしょう、とカレー屋を求めてさまようがコーヒー屋もカレー屋も日曜日は定休日で、結局デニーズへ。

 集合に遅れてきたキャプテンはディスクユニオンに行き、中古CDを4枚買って来た。音楽に関してのこの貪欲さをみならいたい。

 帰りの高速道路。みんなが持って来たCDもひととおり聴いて、ここらでちょっとラジオでも、とラジオをつけるとプリプリとか松田聖子とかレベッカとか80年代の女性ボーカルの曲がたてつづけにかかる。キャプテンが「しんみりしちゃうな」といっしょに歌い出す。あのときキャプテンはなんて言っていたんだっけか。高速道路は景色も変わらないし、タイムスリップしたような気になる、と言っていたんだっけか? 景色が近未来風ってこと? と誰かが訊くと、キャプテンは逆に過去だと言った。親に連れられて親戚の家に行くクルマとかでこういう80年代の音楽を聴いていたから、そのときに聴いていたのと同じ音楽を聴くと、自分が子供に戻って親と一緒に親戚の家に向かっているような気分になる、とキャプテンはたしか言ったんだった。そういわれてみれば僕だって高速道路を走るクルマにのりながら、なんとなく親と出かけたクルマの中を思い出していたんだった。ただし、僕の家のクルマは音楽が鳴っていなかった。僕の親はクルマの中でラジオや音楽をかけなかった。かわりに、「**とかけて**ととく、そのこころは」という笑点みたいなことを延々とやっていたんだったな、と懐かしい。

 京都駅に着いたのは夜の10時過ぎとかだったか。

 家に帰りつくととたんに体調が悪くなり、寝込む。翌日は体調不良で仕事を休んだ。