明日は東京

noise-poitrine2015-02-20

 昨日だったかおとといだったか、夜にバンドの練習に行くとき、いってきますと娘と妻に挨拶をすると、ストーブの前に座った娘は「まさか私を置いてでかけるなんていうんじゃないわよね、こんな夜遅くに」という感じでじっと僕の目を見つめている。あんな目でみつめられると、「いや、トトが悪かった、出かけるのはやめにして一緒にお風呂にでも入ろうか」とはきかけた靴を脱いでストーブの前に戻って娘をひざの上にのせたくなる。これから娘がどんどん大きくなって、もっとしゃべれるようになって、「お父さん、行かないで」なんて言われたら、俺もうバンドつづけられないかも。
 とかいって、明日は東京でライブです。関東方面の方は聴きに来てください。落合soupというところでやりますんで。明日は朝7時半に京都駅前に集合してみんなでレンタカーにのって東京に行く。まさか37にもなって、こんな青春みたいな日々がやってくるとは思いもしなかった。青春映画みたいじゃないか。
 そうそう、このライブのチラシの絵を描いてるのがその他の短編ズの森脇ひとみさんなんだけど、そのその他の短編ズがアルバムを出した。

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 アマゾンでは在庫切れ、入荷未定、となっている。すごいな。そうとう売れているんだな。いや、初めて聴いたときからすごい人たちだと思ってたんだ、俺は。僕の好きな「ビーボーイバラード」も入っている。その他の短編ズのCD-Rはいくつか買って持ってるんだけど、このCDも買おうかな。来月のこづかいが出たら買おうかな。
 こづかいといえば、欲しい欲しいと思っていたジャック・ブルースのアルバムをやっと買った。ああ、これがジャックが死ぬ前に最後に録音したアルバムなんだな、と思いながらほぼ毎日聴いている。一曲目の「キャンドルライト」は明るいハッピーな感じの歌なんだけど、歌詞を読むと「死」という字がいっぱいで、びっくりする。「せまり来る死の予感、それよりも皮をむくような太陽の光を、温もりか冷たさか、惨めな死、そして柔らかに皮をむく太陽の光」ジャック・ブルースは自分が死ぬことを知っていてこの曲を書いたのだろうな、と思う。あったかい太陽の光、というのが、ジャックが死ぬ前に一番のぞんだものだったのか、懐かしく思い返していたものなのか。このアルバムが出たのが去年の春くらいで、ジャックが死んだのが10月25日だというから、ジャックはこれを歌ったあとで最後に一回、夏を過ごすことができたのだな。

 図書館で働く妻が「おもしろい雑誌をみつけた」といって雑誌のコピーを取って来てくれた。『地図情報』という雑誌。たしかにおもしろそう。ウェブサイトのバックナンバーを見ると、特集が「ハイウェーと地図」とか「昭和30年代の地図」とか「山陰・考」とか、なんか妙にそそる。学校に通っていた頃は地理とかあんまし興味なかったけど、おとなになってみると地理とか歴史とかがだんだん気になりだして、テレビで「ブラタモリ」とか見ながら「へー、渋谷の地下には暗きょになった渋谷川が流れているのか、渋谷は渋谷川がつくった谷だったのか、谷だから地下鉄の駅がビルの3階にあったりするのか!」と唸っていたりする。『地図情報』はしかし一般の書店では買えないらしい。地図情報センターの会員になると年に4回送られてくるんだって。年会費は5000円。どうしよう。入会しようかな。
 それにしても、娘の成長が早すぎる。ちょっと待って、といいたい。こないだまでお茶のことを「チャチャ」といっていたのが、最近ではお茶をちゃんと「お茶」と呼んでいる。ぽとんと何かを落とすと「落ちちゃった」という。いや、待ってほしい。「落ちちゃった」なんてまだいわなくていい。そんなちゃんとした日本語は大きくなったらいくらでもしゃべれるんだから、今はまだ、もっとむにゃむにゃ言い続けていてほしい。つっても、まだだいぶむにゃむにゃいってるんだけど、でもときどき普通にしゃべってくるんで、ハッとする。僕のことを「トト」と呼んでいたのが、油断をすると「おとう」になったりする。僕はあわてて「トトだよ」と訂正する。娘が初めて僕を呼んでくれた「トト」という呼び方をいつまでもとどめておきたい、というすがるような、いのるような気持ち。
 バンドの練習で家を開けた日の翌朝、目を覚ますと娘が「トト」と僕をさがす声がする。僕が寝返りをうって娘の方を向くと、娘は僕の方にもぞもぞとはってきて、ぺしぺしと僕の頭をたたき、「なんだおまえここにいたかよ」といったふうににこにこ笑っていた。明日あさってと僕は二日間家を開けるけど、娘は大丈夫だろうか。トトがどこにも見あたらないのでさみしい思いをするんじゃないか。いや、でもカカがいる。娘はなんといってもカカが一番好きなんだから、まあ、大丈夫だろう。