わっしょいハウス

 日曜日の夜にわっしょいハウスの演劇を観に行き、そのまま打ち上げに参加。中華料理屋の女性店員はツンデレのツンだけみたいな人で、眉間にシワを寄せて、
「ライムハイボール? レモンハイボール?」
「いや、ライムハイボール
「レモン?」
「ライムで」
「レモン?」
「だからライム」
「ライモン?」
 がしゃん、がしゃん、とお皿を叩きつけるような大きな音を出す。女性店員に冷たくされるのが好きな我々はワクワクしながら食事をしたのだった。
「俺は今日はお金を持って来てないぞ!」
 と言っていたら犬飼君が僕のぶんを払ってくれた。ありがとうございました。

 この日わっしょいハウスが演劇を上演したのは中古レコード屋さんの店の中で、小さなお店にお客さんは何人いたんだろう。5人くらいしかいなかったような気がする。もっとたくさんの人に観て欲しいと思うけど、わっしょいハウス自身はそれを求めてはいなかったのかもしれない。ただ、京都の友達に「東京でこんな作品つくってます。それなりに元気にやってます」と言いに来た、ということだったのかもしれない。土曜日は別の場所で、フェスみたいなところで上演があったということで、そっちの方はけっこうお客さんが来ていたっぽい。日曜日の公演はおまけみたいな感じだったのかな。
 僕の座っていたところからはレコード屋の店主(六十代くらいの歳の人)が座るレジの机が見えていた。店主の位置からは舞台がほとんど見えない。けど、俳優の声だけは聞こえる。店主はニコニコしながら俳優の声を聞いていた。
 あの店主はわっしょいハウスの演劇を観ながらどんなふうに感じているのかな、と思いながら僕は上演を観ていた。もしあの店主があまり演劇にくわしくない人だとしたら、「演劇」と聞いてパッと思い浮かべるのは劇団四季とか吉本新喜劇とかイッセー尾形とかかもしれないが、わっしょいハウスの作品はそういう演劇らしい演劇とはだいぶ違っていて、女の人が照れ笑いしながら、ちょっと冗談に紛らわせながら、東京でのひとり暮らしの様子をひとりでしゃべっているという作品で、派手なところがひとつもない。俳優は観客を自分の世界にひっぱりこもうとするのではなく、「べつに、共感してもらえなくてもぜんぜんかまわないんですけど……」みたいな感じて自分の生活のことを静かにしゃべっている。
 洗濯物を干しっぱなしにして出かけたら雨が降ってしまい、夜中にもう一度洗濯機を回していて、その洗濯機の振動がけっこうすごくてアパートが揺れる、とかそういう話が俳優によって語られる。「雨なんか降りやがって、ちくしょう!」とか、「雨に降られて私はなんて不幸な女なんでしょう!」とか、「どうせ私なんてこの程度です、ふっ」とか、なんかそんなふうなネガティブな感情を表現するのじゃなくて、「苦情が来ないか心配です」と控えめに東京での生活が語られる。観客はなんとなしにその語りが好ましく思え、引き込まれる。
 へえ、こういう演劇もあるのかあ、今の若い人はなかなかおもしろいことを考えるものだわい、と僕は店主の感じていそうなことを想像して、僕の個人の目(わっしょいハウスとはそれなりに昔から付き合いがある人の目)で作品を観ると同時に、中古レコード店の店主の目(あまり演劇をみたことがなく、わっしょいハウスの作品を初めて観る人の目)でも作品を観ていた。