マントヒヒ

 夏に東京に移住したyoji & his ghost bandの寺田君がライブをするので京都に来た。

My labyrinth(ぼくのラビリンス)

My labyrinth(ぼくのラビリンス)

 ライブは昨日の夕方で、今日はつんじの家で寺田君の京都の友人たちが集まってビールを飲むことになったという。僕は娘とふたりでバスに乗ってつんじの家に出かけて行った。
「つんじさんち、楽しかった?」
「つんじさんち、楽しかった」
「そうか、それなら良かった」
 帰りのバスで娘は眠ってしまった。バスを降りると娘を抱っこして家まで歩いたのだけど、これが思ったよりも重たくて、雨も小雨だけど降っていたりして、けっこう大変だった。が、この大変さこそがうま味なんだ、将来、僕が50歳になったとき、僕が一番帰りたいと思うのは眠ってしまった12キロの娘を抱っこして雨の降る暗い道を歩いているこの瞬間なんだ、この瞬間にこそ戻りたくてたまらなくなるに違いないんだ、この瞬間だぜ! この瞬間だぜ! と思いながら歩く。
 
 夜、寝る前に、娘はなにやら怖がっている。
「つんじさんち、怖かったね」
「何が怖かったの? トイレのとこ? 暗かったから?」
「つんじさんちの、とこ、怖かった」
「なにが怖かったのかな。……もしかしてマントヒヒ? が怖かったの?」
「……」
「あのマントヒヒは怖がることは何もないんだよ」
「……」
「**ちゃんとトトが『こんにちはー』ってつんじさんちに入って行くと、奥からつんじさんが出て来たんだね。つんじさんは、まだ誰も来ていないっていって、それで**ちゃんとトトはカッパを脱いで『おじゃましまーす』ってつんじさんちにあがって、ズボンとオムツを替えたんだね。それでつんじさんのいるお部屋にいって、そこで『たべっこどうぶつ』とバナナを食べて、お茶を飲んだでしょう? トトはつんじさんがついでくれたビールを飲んだんだね。で、しばらくつんじさんとお話してたら、入り口のところに誰か来たんだね。で、ふっと見たら、マントヒヒが立っていたんだね。それで**ちゃんはびっくりしてトトにしがみついたんだね。あれが怖かったの?」
「怖かった」
「あのマントヒヒの正体は寺田君なんだよ。寺田君はみんなをびっくりさせようと思ってマントヒヒのお面をかぶってきたんだよ。**ちゃんもだるまさんのお面を持ってるでしょう?」
「……」
「**ちゃんがトトにしがみついている間に寺田君はマントヒヒのお面を取ったんだよ。だから、トトが『**ちゃん、もう大丈夫だよ』っていって、**ちゃんがもう一度ふりむいて見たら、寺田君が立っていたでしょう。あの、ジージャンを着ていた人だよ。寺田君はね、マントヒヒのお面をインターネットで買ったんだって。1万5千円だか1万8千円だかしたって言ってたけど、ちゃんとしたお面だからそんなに高かったんだね。あのマントヒヒは、レオナルド・ディカプリオがハロウィンのパーティーでつけていたのと同じお面なんだって。だからね、何も怖がることはないんだよ。安心していいんだよ」
 娘はしばらくじっと何かを考えている。
「マントヒヒ?」
「マントヒヒは、寺田君だったんだよ」
「寺田君のお話、もう一回する」
 それで僕は枕元で5回くらい寺田君のマントヒヒのお話をくりかえして、そうするうちに娘は眠ってしまった。