若き詩人

noise-poitrine2015-12-03

『若き詩人』は、レミという名前の男の人が海辺の街をひたすらぶらぶら歩き回り、詩を書こうとする、という映画だった。レミは、ポール・ヴァレリーのお墓の前でヴァレリーに話しかけたり、漁師と友達になったり、女の子を好きになったり、酒を飲んだりして詩を書こうとがんばるのだけど、どうもうまくいかない。書いている詩も、タコを「あなたはすばらしい」みたいに褒める詩とかで、あんまりいい詩が書けていないっぽい。どうも不器用そうな人で、女の子と仲良くなりたくてもうまくしゃべれなかったり、急に抱きついて怒られたりする。何か事件が起こるわけでもなく、話はどこにも進んで行かないんだけど、この停滞感みたいなのが、いや、停滞という言葉を使うと駄目な感じになっちゃうけども、ずっと同じ場所にとどまっている感じ、というのがすごく良かった。とにかくあそこに映っている海辺の街がよくて、海がきれいで、天気がよくて空が青くて、昼も夜も暖かそうで、映画をみている間じゅう、僕は自分があの街をぶらぶらと歩き回っているみたいな気分になっていた。レミの体をとおして、自分があの海の青さだとか、空気の暖かさだとか、潮の匂いだとかを味わっているような感じがした。ストーリーを追うとか、ハラハラドキドキする、とかするために観る映画じゃなくて、観光で海辺の街を訪れるような感じで観る映画。
 レミにとっては詩が書けない時間は苦しい時間のはずで、だから強い酒を飲んで酔っぱらって嘔吐したりもして、自分は詩に向いていないのか、とつらそうにしてたりもするんだけど、スクリーンのこっち側からそれをみていると、その苦しんでいる時間がうらやましく見える。あんなきれいな場所だったら永遠にあそこに留まって悩み続けるというのもありなんじゃないか。それは実は幸福な人生なんじゃないか、と思ったり。
 脇役の人たちは映画の筋を進めるために出て来るのじゃなくて、ただ、その人がそのままそこにいる、という感じで撮影されていた。ふらっと訪れた港街で、ああいう漁師の男の子と友達になったらおもしろいだろうな、と思う。その男の子との間に何かドラマが生まれるわけじゃなくて、男の子はただその街にいて、レミを船に乗せてくれたり、一緒に海にもぐったりする。ただそれだけ。だけど、ただそれだけっていうのがいいんだよな。女の子とも「また会いたいな、でも、電話番号も知らないんだよな……」と思っているだけっていう関係のまま映画は終わる。こういうどこにも行かない感じっていうのは、つまりどこにもいかなくても、今いるこの場所が、この状態がそのまま満ち足りている状態なんだからそれでいいんだよ、っていう感じがする。
 レミが女の子に歌をうたう場面がある。愛の告白の歌。練られた歌じゃくて、なんとなく、即興でつくった歌っぽい。もしかしたら監督がその場で「ちょっと何か歌ってみて」と言って撮影したのかもしれない。このむちゃぶりっぽい感じがダウンタウンのコントみたいで笑ってしまった。