無調整豆乳

 『FAKE』で特に印象に残った場面は、佐村河内さんが晩ごはんのときに豆乳のパックをドンとテーブルにおいて、大きなコップになみなみとそそいで続けざまに何杯も飲む場面で、ああ、この人は新垣さんに裏切られた悲しみでごはんがのどを通らないのか、それであんなにも沈痛な面持ちで豆乳を飲み続けているのか、と思って見ているとどうもそうではないらしく、佐村河内さんはいつも食事のときにお米のかわりに豆乳を1リットル飲んでいるらしい、しかも無調整の豆乳。調整豆乳はけっこううまいけど、無調整の豆乳は青くさいというのかなんというのか、植物の強い匂いみたいなのがあって、あまりうまいものではない、と僕は思っていたから、そんなうまくないものを食事のたびに1リットルも飲んでいる佐村河内さんがすげえいい人に見えたのだった。あのシーンで佐村河内さんがビールの大瓶を飲んでいたりしたら、また印象ががらりと変わっていたと思う。いつも飲んでるんですか? という質問に申し訳なさそうな感じで「好きなんです」と答えていたのもよかった。健康のためとかじゃなくて、あのおいしくない豆乳が「好き」だというのを聞いて、ああ、この人にはこのような日常生活があるんだ、だのに僕は何も知らずに佐村河内さんのことを極悪人だと決めつけていた、と自分が恥ずかしくなった。
 それでなんだが僕も佐村河内さんみたいに無調整の豆乳を飲みたくなって900ミリリットル入りのパックを買って来て飲んだら、やはりまずい。まずいけど、ああ、この味を佐村河内さんは毎日味わっているんだな、と思いながら一本飲んだ。で、またもう一本買って来て飲んでみると、最初に感じていたまずさはだいぶ薄らいで来た気がする。で、さらにもう一本買って来て飲むと、ちょっとうまいような気もするような気がする。で、しつこくもう一本買って飲んだら、これはけっこううまいんじゃないか。なんだかなめらかなクリームでも飲んでいるような舌触りとのどごしで、最初の頃に感じていた臭みみたいなのをもう感じなくなっている。味もクリームっぽく感じるようになってきた。舌が味になじんで来たのか。ああ、この感じならば「好き」というのもありかもしれない、いやむしろ、俺はこの味がけっこう好きだぞ、だいぶ好きだぞ、無調整の豆乳ってこんなにうまいものだったのか。
 子育てとか家事でぐったりしているときに冷蔵庫から豆乳を出してコップに注いで飲むと、急に元気が戻ってくるような気がする。今日なども、昼過ぎの暑いときに、あかん、もう昼寝をさせてくれ、このまま君のブロック遊びにつきあっていては気を失ってしまう、とか思ってふとんに倒れ込んでいたとき、コップ一杯の豆乳を飲んだら急にハッスルしてきて、おい、今から自転車で図書館に行くぞ、返却する絵本を取って来なさい、と娘を自転車のチャイルドシートに乗せてかんかん照りのなか図書館まで往復してしまう、ああ、これはもう僕は豆乳を手ばなせないぞ。
 今日は夕方から小学校の夏祭りに行ったんだけど、夏祭りの会場で生ビールと焼きそばなどを食べているときも、ああ、早く豆乳が飲みたい、と頭の中は豆乳のことでいっぱいになっている。あんなにまずいと思っていたものがこんなにうまく感じられるようになるなんて自分でもびっくりだ。
 小学校の夏祭りではあいかわらず子供たちのヒップホップが熱い。観客の熱も違う。和太鼓のときは聞いている人も少なくて拍手もまばらなのに、ヒップホップが始まるととたんに若もの達が集まってきてスマホやらタブレットやらをかざして動画を撮っている。なんでこの地域はこんなにヒップホップが熱いのか、それとも日本全国でこんな感じなのか。