お粘土お姉さんが好き

noise-poitrine2017-05-21

 昨日は塚本エレバティでライブ。聴きに来たお客さんは三人だけ。という寂しさにはもう慣れている、というよりもそれが普通になっていて、お客さんが四人以上いるときはテンションが上がってウキウキしちゃってしょうがないよ。昨日の三人のお客さんのうち、一人で来てたおじさんはずっと居眠りをしていた。お客さんがゼロの日だってあったんだから三人いれば大したもんだ、とは思うけれども、しかし何年たってもお客さんを呼べない我々はなんとなくライブハウスに申し訳ない気持ちで各々ジンジャーエルだとかカレーだとかを注文して数百円ずつでもライブハウスにお金を。
 リハーサルのあと、淀川で缶ビール飲む。暑くもなく寒くもなく、空が広くて天気が良くて気分がスーッとする。淀川は普段見ている賀茂川の二十倍くらい川幅があり、さすが大阪はスケールが違うなあとうなる。対岸に高層ビルがいくつも見えた。潮の匂いがした。カモメが飛んでいた。魚がぼちゃぼちゃと何度も跳ねた、あんなに高く跳ねるものなのか。水上スキーのボートが通った。川は海とは反対の方向に流れているように見えたが、あれは海から吹く風が川の水面を上流に向かって波立たせているからなのか。

 今日は午前中に娘と二人で大宮交通公園へ。三輪車に乗るが、久しぶりに乗ってみるとだいぶ窮屈げ。三輪車に乗るにはもう足が伸びすぎている。折に触れて三輪車に乗りたがっていた娘だが、あまり三輪車に乗せてあげられないうちに三輪車に乗れる時期を通り過ぎてしまった。やりたいって言ったものはやれるうちにやらせてあげないとダメだな。子供はすぐに大きくなってしまう。

 近所の801ストリートのお祭りへ。この商店街にはやおいちゃんというマスコットがいるのだが、今日はやおいちゃんの着ぐるみが来ていた。薄緑色の大きな毛むくじゃらのゆるキャラがのっそり出てくると娘は本気で怖がり「だっこ! だっこ!」と僕にしがみつく。得体の知れない不気味なものがゆっくり近づいてくる感じ。喋らないしもちろん顔の表情も変わらないから、その着ぐるみから発信される情報がすごく少ない。何をしたいのか、何をどう感じているのかが全然わからない、というのが不気味なのかしら。

 最近のごっこ遊びのトレンドはあまちゃんごっこ。「トト! あまちゃんやって!」というので僕があまちゃんを演じるのだが、娘は「あまちゃん」をほとんど見たことがない。ごっこ遊びは朝ドラの「あまちゃん」とはほとんど無関係。あまちゃんが娘の家に遊びに来て娘が作るご馳走を食べて娘と一緒に寝る、といった筋になることが多い。あまちゃんは時々ウニをとってウニ丼を娘にご馳走する。

 ときどきトイレに出没する大きな蜘蛛を我々は親しみを込めて「ザムザさん」と呼んでいるのだが、かわいがっているというよりは怖がっていて、急に天井からこちらの首すじに落っこちて来たりはしないだろうか、とビクビクしながらトイレをすることになる。ここしばらくはザムザさんの姿を見かけなかったが今日ひさしぶりにザムザさんが姿を見せる。たぶん悪い蜘蛛じゃないから殺したくはないのだが、どうしたものか。

 せっかくアマゾンプライムに入ったのだから何か見なくちゃもったいない、と「太陽の王子ホルスの冒険」を娘と見る。と、最初の方のお父さんが死ぬところをみて娘はとても怖がる。お母さんがいない、お父さんが死ぬ、ひとりぼっちになる、というホルスの身の上にシンパシーを感じて泣く。ので、「ホルス」を見るのはここで中止。人は死ぬのだ、ということを娘はそろそろ理解しはじめてはいるが、まだ今ひとつピンと来てはいない。死は自分とは遠いところにあり、自分や自分の親とは関係のないことだと思っているフシがある。ひと月くらい前だったか、保育園に送っていくと、保育園の玄関で「トトとカカは死なないんでしょ?」みたいなことを言われた。「いや、トトもカカもいつかは死ぬよ」などとは言えなくて、「まあ、そうだな」とお茶を濁す。「嘘はつきたくないし、本当のことを言えばあなたが傷つくし」という、のび太のママがのび太に言っていたセリフを思い出す。

 二年前は白塗りのニャルビッシュを泣いて怖がっていた娘が急にもう一度「ニャンちゅうワールド放送局」を見たいと言い出す。お粘土お姉さんが好きみたい。