10キロをすぎたあたりで少しずつ膝が痛み出したのは、あれはグリコーゲンが切れてしまったせいなのか? 10キロ地点の少し手前に結構急な登り坂があって、あの坂でみんな速度を落としていたのに僕はなんだこんな坂は、俺はもっと走れるぜ、とぐんぐん前を走る人を追い抜いて行ったのが良くなかった。20キロも一度に走ったことなんてなかったからどれくらいのペースで行ったらいいのかよくわからない。速く走ろうと思えばどんどん走れる気がする、それでどんどん走ったのが悪かったんだ。今では反省している。あの速度は、僕が走ったあの速度は10キロくらいまでの距離を走る速度だったんだと思う。だから10キロをすぎたあたりでだんだん膝が痛くなってきてちょっとずつ足が動かなくなって来た。ここに書いているのはこないだの土曜日に走った京都丹波ロードレースのことだ。前にも書いたかもしんないが僕はこのレースでハーフマラソンを走った。10キロくらいまでならば日曜日の朝なんかにひろしと一緒に賀茂川を走ったり、職場まで玄関の鍵を閉めに行くのに走って往復してみたりして走ったことはあったんだ。なんで職場まで走って行って玄関の鍵を開けたりしめたりする必要があるのか。僕はそれは土曜日に行ったんだった。もう3、4回は土曜日に鍵を開けたり閉めたりしに行ったと思う。織物の経糸を継いでくれる人が土曜日に来てくれるという。だけど僕は土曜日は休みだ、妻と子供と一緒に出かけるとかなんとか用事があったんだと思う。それで朝早くに玄関の鍵だけ開けに行くとか、夕方、用事が終わってから鍵を閉めに行くとかしたんだったと思うがそのことは今はどうでもいい。今は京都丹波ロードーレースのことに戻りたい。10キロを過ぎると坂道が結構ある。そんなこと知らなかった。いや、坂がない道なんてないんだから坂なんて当然あるものなのにそんなこと考えもしないでむやみに走っていたから。13キロとか14キロあたりではもう頭がぼーっとしてきてやばい、このままだと気を失って倒れるかもしれない、なんて思ったりもしたけど倒れたりなんかするもんか。倒れないけど脚がすごく痛い。一年以上ずっと右脚が痛かったから右脚が当然先にダメになるはずだ。ひょっとしたら歩くのもダメになるのかもしれない、なんてスタートする前は思っていたんだ。だって2、3週間前は右の膝が痛くて全然走れなかったんだもの。でも右脚も痛いけど左脚も痛い。両方の脚が同じくらい痛い。痛さが同じくらい、というのが安心する。だって、左脚も右脚と同じくらい痛いんだったらこれは右脚がずっと前から痛んでいた痛さの痛みが今日ここで強くなったわけじゃなくて、走り過ぎて両脚とも痛くなったということだから原因は右脚の坐骨神経痛じゃない。原因は走り過ぎだ。たぶん速く走りすぎたんだ。それでグリコーゲンがなくなっちゃったんだ。だからもっとゆっくり走るべきだったんだ。もっとゆっくり走っていたらグリコーゲンを使い切ってしまうこともなく、もっと楽に走り続けられたのかもしれない。16キロあたりからはもう脚の痛みが我慢できなくて歩いた。いや、痛みがひどいからというよりも、脚が上がらないからだ。脚が上がらないし、膝やら太ももの外側やら太ももの内側やら、あとどこだったっけ? 脚のそこらじゅうが痛くて走れない。それで登り坂は歩いて平らな道は走って、だけどちょっと走ると脚が痛くて動かないからまた歩いて、それで最後の4キロだか5キロだかはひどくつらくて大変で、もう二度とレースになんか出たくない、12月にもハーフマラソンを申し込んでしまったけど、それに出たらもうしばらくレースはやりたくない、そんなことを考えていたけど、走り終わって2、3日するとやっぱりもっとレースに出たいと思っているから変だ。あんなにつらかったのに。これがレースじゃなかったらとっくに走るのをやめていたけど、せっかく出たレースなんだから、しかも記念すべき初のハーフマラソンなんだからなんとか完走したい。途中で歩いちゃったら完走とは言わないのか? でも制限時間以内にゴールにつきたい。ちょっと走ってまた歩いて、という最後の4キロだか3キロだかがすごく長い。あとちょっとでゴールだ、なんて曲がり角に立ってるおじさんはいうけど、そのあとちょっとがすごく長い。京都マラソンの抽選に落ちてほんとによかった。ハーフマラソンでこれなんだからフルマラソンなんてとても走れない。40キロ以上も走れる人がいるなんて信じられない。でも僕だってやっぱりフルマラソンを走ってみたいとは思ってるんだ。もっとトレーニングをしたらもっと走れるようにほんとになるんだろうか? いつか歩かずに40キロ走れるようになるんだろうか。ゴールの競技場のトラックはどうしたって歩いちゃダメだ。歩いたらトラックで待っている妻と娘に恥ずかしい。12時半くらいには着くかな? なんて言っていたけど、ただいまの時刻は13時とかなんとか、競技場の方から聞こえてくる。表彰式かなんかをやってるみたいだ。俺はまだ走り終わってないぞ、だのになんで表彰式なんてやっちゃってるんだ。それにしてもここの田舎の景色は気持ちがいい。低い山の入り口のところに赤い鳥居が立っているのなんて、『となりのトトロ』のトトロが住んでる山みたいだ。田んぼと山が僕の生まれ育った丹生に似ている。こないだ帰省したときに僕は丹生の大桁山まで走ろうと思って、だけど途中で膝が痛くなったから散歩に切り替えて、それで田んぼとか山とかを見ながら丹生を歩いたあの時の景色を思い出す。あの時歩いたのは原だ。原というのは集落の名前だ。原と山口だ。原の古柳観音のあたりを歩いたんだ。三泊四日だったから一泊した次の日の朝に原まで歩いて、四日目の京都に戻るという日にもう一度、今度は妻と二人でまた原の古柳観音まで歩いたあのあたりの景色だ。妻と娘はどれくらい待ったのか。競技場のトラックの外側に二人で立っていて、僕に手を振ってくれた。こうやって僕が走るのを応援してくれる妻と娘で良かった。あんた勝手にレースでもなんでも行っておいで、私らは家でテレビ見てるから、とか言わずにこうやってついてきてくれる。しかし将来はどうか。何度も何度もレースに出てたらだんだん飽きてきて、特に娘は飽きてきて、飽きなくても小学校の高学年とかになったら友達と遊んだりマンガ読んだりゲームしたりとかの方が楽しくて父親のマラソン大会になんてついてきてくれない。だけど5歳の娘はついてきてくれたんだな、ゴールのトラックで立って待っていてくれたんだな、ということを僕は忘れないでおこう。僕が走っている間、二人は丹波自然運動公園で遊んでいた。100円払うと紙をくれてそれで工作を教えてくれるおじいさんだかおばあさんだかが公園にいてそこでフリスビーを作ったり紙コップの中にビニール袋を入れておいて紙コップの下の方にさしたストローに息を吹き込むとビニール袋がふくらんで上に伸びて行くというおもちゃを作ったりしていて、ゴールした僕に見せてくれる。妻は自動販売機でポカリスエットを買ってきてくれる。ゴールを喜んでくれる妻と娘で良かった。膝が痛くて体重をかけられないから公園内を移動するにも帰りに駅の階段を上るにも手すりにしがみついてよちよちと上る。老人になったらこんな風にちょっとずつ歩くようになるのか。いや、今から走っていればそんなふうに歳をとるようなことはないのか? 帰りに二条駅でラーメンを食べた。