姉と弟

けさ見た夢は、20歳くらいの弟と、それよりちょっと年上のお姉ちゃんが同じ部屋にいて、お姉ちゃんは雑誌を読んでいて、そこに弟の友達が遊びに来る、という演劇作品の稽古を見学しているという夢であった。劇作家のTさんが弟の役を演じていて、台本を持ちながら稽古をしている。Tさんは「すごい」というせりふを「いごい」と言いまちがって、なぜかそれが僕には死ぬほどおもしろくて、爆笑しながら目が覚めた。
で、とっさに枕元のメモ用紙にその夢の概要をメモして、「よし、これだ」と言ってまた二度寝をした。なんでその夢をとっさにメモしたかというと、爆笑しながら目が覚めたというほどおもしろい夢だったから、というものあるんだけど、お姉ちゃんと弟という関係で僕も戯曲を書いてみようと寝ぼけながら考えたからなのだった。
四月から書き始めたおじいちゃんとおばあちゃんが俳句をつくるという戯曲がどうもあまりいい具合に行っていないので、やっぱしお姉ちゃんと弟というのはどのような関係をたもちつつ生きて行くものなのか、とうことを考えながら新しい戯曲を書く方向にシフトしたいと思うのだった。
お姉ちゃんと弟という関係は僕の周りに結構あって、職場の人にも弟を持つお姉ちゃんがいるし、甘もの会のリーダーのフカミ師匠も弟を持つお姉ちゃんだし、僕のカノジョであるところのSさんも弟を持つお姉ちゃんであるからであって、たとえば、お姉ちゃんにカレシができた時の弟の気持ちはどうなのよ? とか、弟にカノジョができた時のお姉ちゃんの気持ちってどうなのよ? とか、そんなことが最近気になるのだ、俺は。
それと、きょうだいってゆうのは、どっちかが18歳とかになってひとり暮らしを始めるまでは一緒の家に住んでいて、わりと同じような思いでとか記憶とかを持ってるけど、どっちかがひとり暮らしを始めちゃうと、とたんに一緒に過ごす時間がゼロになっちゃって、それぞれが頭の中に持ってる記憶とかも変わっていっちゃうんかもなーとか、そんなことを思ったり思わなかったりするので、そうゆうことも考えながら新しい戯曲は書きたい。
ので、もう僕は俳句の勉強はやめる。
いつか、山下残さんが「残」という忌まわしい名前を選んだのは、忌野清志郎が好きだったからなのだった、ということを、たしか言っていて、残さんは清志郎さんが死んでしまって大変かなしんでいるのかもしれないな、と思う。ダンスを始める前は、清志郎にあこがれて、交差点とかでギターを抱えて歌をどなっていたのだとか、そうゆう話を聞かせてもらったような、もらわなかったような。うーむ。記憶はどんどん僕の頭の中で変質して行くのであった。
明日と明後日と2連休である。ゴールデン連休明けは図書館の返却本が山のようにあって、利用者の人も山のように来てなんか疲れたな。明日はSさんとデートである。自転車に乗って京都の書店めぐりである。たいへん楽しみである。
しかしそれにしても、ウンコ味のカレーとカレー味のウンコは、どちらがいいのだろうか。おおいに迷う。むむむむむ。