ホルモン焼き

 このブログのことは職場の人には内緒にしていたのだけれども、どうやらばれてしまったようで、どうしてばれたのかと思って聞いてみたら、僕の名前で検索をしたら普通に検索結果にこのブログがあがって来たのだそうだ。どうしたら職場の人がこのブログを読むのをやめるだろうかと考えて、とにかく読むのが厭になるくらい長い文章を書いておこうととりあえず思い、それで最近はだらだらとどうでもいいことを書きまくっていたのだけれども、そろそろいっぱい書くのがしんどくなって来たので、だんだんまた短くして行こうと思うのだけれども、長く書く癖がついちゃったかもしれなくて、とにかくだらだらなにも考えずに指が勝手にだらだらとキーボードをだらだら打ってしまうので、あまりのことに腱鞘炎になるのじゃないかというのが最近の僕の悩みです。
 今日は本当は祇園祭に行ってみよう、祇園祭に行ってたこ焼きとか綿菓子とかそういう屋台で売っている食べ物を買って食べ歩きをしてみよう、鉾とか山とか見てまわろう、スタンプが置いてあるらしいからスタンプを帳面に押してまわってみよう、そんでもってその帳面を記念にとっておこう、とそんなことを考えていたのだけれども、さあ出発だという段になって急にごろごろと雷が鳴りだし、パラパラと雨が降って来たのでずこーっとずっこけてしまい、結局祇園祭に行くのはやめにしたのだけれども、やーめたっと思った頃には雷も雨もやんでしまったので、やっぱりお祭りに行ったほうがいいかなとも思ったけれども、一度決めたことを変えるのも男らしくないと思い、お祭りには行かず。
 お祭りといえば僕が子どもの頃、近所の丹生神社でお祭りがあるたんびに僕の母はホルモン焼きの屋台で串に刺さったホルモン焼きを買ってくれた。ホルモン焼きといえば内蔵を焼いたものだと思われるかもしれないけれども、十人に聞いたら十人が「ホルモン焼きとは内蔵を焼いたものです」ときっと答えることと思うけれども、丹生神社の屋台のホルモン焼きは内蔵ではなかった。ホルモン焼きはちくわだった。ちくわにパン粉をつけて揚げたものを特製のタレにつけて売っていた。あのタレがおいしいのだと母はいつも言っていて、屋台のおじさんにタレの作り方を訊いてみたことがたしかあったのだけれども、おじさんは「これが売りだから」「これ教えたら商売になんないから」といって教えてくれなかった。あのタレの作り方さえわかったらうちでもホルモン焼きが作れるのに! と、そういって母は嘆いていたように僕は記憶している。そしてそう嘆きつつお祭りのたんびに母はホルモン焼きを買ってくれた。
 僕が幼い頃の丹生神社のお祭りは結構にぎやかで、ホルモン焼きの屋台の他にも輪投げの屋台とか子どもにくじをひかせてあたりが出たらファミコンのソフトをくれる屋台とか(あたりは出なかったみたいだけど)、お面屋の屋台とか綿菓子やの屋台とか、いろんな屋台が出ていたのだけれども、それが年々少なくなって行って、僕が小学校五年か六年の年のお祭りのとき、「さあ、今日はお祭りだぞ!」と勇んで丹生神社に行ってみたら、ホルモン焼きの屋台がぽつんとひとつ出ているだけだったで「えー!」っとずっこけてしまい、境内に屋台ひとつだけというその光景があまりにも寂しくてショックだったので、ホルモン焼きも買わずに逃げるように走って帰って来て、それいらい僕は丹生神社のお祭りには行かなくなり、ホルモン焼きもあれからずっと食べていない気がする。