昨日はプラネタリウムに行った

芸能山城組のケチャまつりに行くことにした。

こんなのをただでみられるなんてすごいじゃないか。

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昨日はプラネタリウムに行った。プラネタリウムなんて行ったの、小学校以来じゃないかしら。太陽はあと50億年したら惑星状星雲になってしまうのだそうだ。50億年後に人類はまだ地球にいるのかしら。50億年もたったら、ものすごい進化して全然別のものになっちゃってるかもしれない。それか、けっこう退化したりしてるのかもしれない。もうぜんぜんいなくなっちゃってるのかもしれない。50億年後に、ケチャだの合唱だのはまだ残っているかしら。音楽もものすごい進化して、なんか音楽じゃないものとかになっちゃってるかもしれないな。それか、音楽がかつて存在したのだということを知っている人なんて、そもそもいなくなっちゃってたりするのかもしれない。それでも50億年前に音楽がけっこう地球の空気をぶるぶると振動させていたということは、やっぱりどこかに記憶されているんじゃないか。なんか、音楽の振動の記憶のなごりみたいなものが、50億年後の空気にもやっぱりちょっと伝わってるのじゃないか、みたいなことを考える。けれども、そんなことを考えるのは音楽を楽しむことには関係ないので、いまこの瞬間になっている音楽を自分の耳でちゃんときけば、あとは50億年後のことなんか知らないよ、というのがほんとうの音楽のたのしみかたなのだろうな、ということも考える。

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食堂で大学生の女の子ふたりがしゃべっているのをききながらご飯を食べた。
「一週間で別れたはなししたっけ?」
「え、なにそれ、きいてない」
「バスケ部だったんだけど」
「うん」
「つきあってさ、部活のあとでごはん食べに行って、でさ、おしぼりでね、顔ふいて」
「わー」
「でさでさ、それ見てわたしひいちゃって」
「うん、それはねー」
「で、あたま痛いとかいって、そのまま帰って」
「うん」
「で、そのあと一週間連絡とらないで、結局わかれた」
彼氏がおしぼりで顔をふいたくらいで別れてしまうなんてどんだけ度量のせまい人なのか、と思いながらぼくはとなりでごはんを食べていたのだけれども、ひょっとすると今どきの大学生などという人たちは、けっこうそういうのが普通だったりするのかもしれない。
図書館で平気でジュースを飲むし、ガムのたべかすは机のうえにほっぽっとくし、かばんやiPodを図書館に放置したまま昼飯を食べに行くし、そんなのおれには恥ずかしくてできないけど、彼らはちっとも恥ずかしくないみたい。