タイ料理をたべたよ

昨日は中央線がとまり、今日は京王線がとまり、東京の電車は良くとまるものだなと思った。人身事故というのは人が飛び込んだということなのだろうか。
東京はものすごい人口密度でたまげた。なにもあんなにまで人があつまらなくてもいいじゃないかと思う。それにビルが高い! 今日は都庁のふもとまでいってみたのだけれども、あのへんの高いビルがずんずんと集まっている感じはものすごい。あんなに高くて大丈夫なのかと心配になる。地震がおきたら折れるのじゃないか。あんなに高くする必要があったのか。あんなに高くしないと仕事が入りきらないほど東京には仕事が多いということか。
で、そのビル街のなかの石畳の広場で芸能山城組の演奏が今日あって、ぼくはそれをききに行った。驚いたのは蝉の声の大きさで、ジェゴクとかガムランとかの演奏中も蝉は遠慮なく鳴き続けていて、その蝉の声がどの楽器よりも一番大きかったような気がする。そんで、いちばんすごかったのが女性合唱で、音をきいているというよりもエネルギーの固まりがおしよせてくるみたいな感じで圧倒された。あれで蝉がさかんに鳴いているのでなければ、目の前に座ったホームレスのおじさんがつまらなそうにうつむいてなければ、ぼくは合唱をききながら泣いていたかもしんない。いや、しかしああやって芸術が引きこもりにならないで蝉とかホームレスのおじさんとかに解放されているというのは、それが本来の芸術のあるべき姿なのかしら、とかも思って、だからとくにじーっときいて涙をながすぞ、とか、そういうことは必要なくて、「ああ、蝉が鳴いてはるね」「屋台の風鈴、ちりんちりんゆうてはるわ」という感じで、環境も合唱もひっくるめてそういう場所にいることを楽しむみたいな感じでいいんじゃないか、とか思ったりする。
ケチャは時間がなくて聞けなかった。残念。
このイベントは日曜日まで毎日やっているそうなので、興味がある人はききに行ってみてください。新宿三井ビルの55広場です。昼の12時から夜9時頃までやってるみたいです。合唱は6時から。
京都に帰る新幹線にのる前におなかがすいたので駅の構内のラーメン屋で味噌ラーメンを食べたのだけれど、味噌ラーメンが880円もする! 大盛りではなく、並盛りで880円もする! しかもぎゅうぎゅうの満席で知らないおばさんが目の前にすわり、おばさんが五目焼きそばに酢をかけてむしゃむしゃ食べているのを眺めながら味噌ラーメンを食べなくてはいけない。やはり東京には住めないなと強く思った。

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昨日は甘もの会の人たちとタイ料理を食べにいった。ぼくはパクチーが苦手で、だからタイ料理も苦手なのだけれども、しかしいつまでもそんなふうに「あれもきらい、これもきらい」といっていたのでは世の中にあるいろんなおいしいものを食べそこねたまま人生を終わってしまうのではないかという心配があって(そしておいしいものを食べそこねたまま死んでしまえば、たとえ50億年たとうが二度とおいしいものを食べることができないのだ!)、タイ料理だってこれだけお店がいっぱいあり、「タイ料理だいすき!」というOLとかもいっぱいいるみたいなんだからやっぱりきっとおいしい料理であるはずにちがいなくて、ぼくはそのおいしさがわかるようになりたい、おいしさがわかったような気がするという程度でもいいからなんとかそういうふうになりたい、と思い、それであえてタイ料理屋さんに連れてってもらった。そしたら以前タイ料理を食べたときのような拒絶感をぜんぜん感じなくて、「あれ、けっこううまいじゃん」みたいな感じで、パクチーもけっこう大丈夫で、すっぱい味もわりと行ける感じで、俺もだいぶ舌がおとなになったんかな、と自信がでてきた。
タイ料理屋さんに行く前に師匠といっしょにゴールデン街と歌舞伎町をさんぽしたんだけど、歌舞伎町はすごいですね。ギラギラしてますね。欲望の街という感じで、性欲とか物欲とか食欲とかがぎっしりとつめこまれて欲望でぴかぴか光っちゃってるみたいな、欲望が発散するエネルギーで発電しちゃってるみたいな、そんな印象を受けた。高そうなお寿司屋さんとかあって、はぶりのいい人はああいうところでトロとか食べて、それから花屋さんで花束を買って、ホステスさんがいるお店にお酒を飲みに行くんだろうな。
甘もの会の人たちとはひさしぶりにあったわけだけど、タイ料理を食べながらしばらくみんなで話をしていると、みんなあいかわらずだな、という印象が頭に浮かんで来て、うれしくなった。一時期は毎日顔を合わせたりしてた人たちだけど、もう今は半年にいっぺんとかしか会うことがなくて、そうするとだんだん離れて暮らしているその人たちのことを思い出す時間がなくなり、京都で目の前にいる人のこととか、目の前の京都の仕事のこととかばかりを考えてぼくは生活をしがちなわけだけれども、そういう日々の中でこうやってひさしぶりに友達に会うと、「ああ、そうだそうだ、この人はこういう人だった。こういう声でこういう感じのしゃべり方でこういう雰囲気で・・・」というぼくの頭の中の記憶が今まさに目の前にいるその友達とぴたっと重なって、そうすると「あいかわらずだな」という感慨みたいなものがでて来て嬉しくなるみたい。髪型とかみんな結構変わってたりするけど、髪型が変わったくらいでその人から受けるあいかわらず感はゆるがない。
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