洗濯、ドラクエ、回数券

 物欲生活はもうやめにしようと思いギター教室で稼いだお金で銭湯の回数券を買った。本やらCDやらを買うよりはなんといってもまずは清潔な生活を送らねばならない。それがカゲキハと間違われない人間になるための第一歩になるのだろう。
 今日は天気の良い日曜日だったので溜まっていた洗濯物をコインランドリーに持って行き洗濯をした。コインランドリーの椅子には汚い格好をした青年が坐りDSでゲームをしている。ぼくが入って行くと青年は目を上げてぼくをみたのだけれども、その目がいかにも気力のない暗い目でまるでカゲキハの目だ。DSから聞こえてくる音をきいただけでそのゲームがドラクエだとぼくにはわかった。音をきいただけでわかるのだ、ドラクエは。青年はきっとドラクエ9で遊んでいるのだろう。今月の初め頃ぼくはずっと中断していたドラクエ6を再開したのだけれども、それも一週間ほどで飽きてしまい今のぼくはもうゲームをしない。夜中にドラクエ6で遊んでいたぼくはきっとあの青年のどんよりした目でテレビ画面を見ていたのにちがいないのだ。ああ、それではまるでカゲキハじゃないか!
 洗濯中に部屋に戻りホコリだらけのスニーカーを洗った。洗濯用の洗剤とたわしで洗ったのだけれども思ったほどきれいにならず、そろそろこの靴も買い替えどきかもしれないと考えた。考えてみればぼくはこの靴を五年半はいている。
 洗い終わった洗濯物を取りに行くとさっきの青年はまだそこにいてドラクエで遊んでいた。顔を上げてぼくを見た青年の目はやっぱりどんよりとしたつまらなそうな目だ。遊んでいるはずなのに目が生き生きしていない! これはどういうことなのか。ドラクエで遊ぶということは結構しんどいことなのかもしれない。レベルをあげるために何度も何度も悪者をやっつけねばならず、そうやって悪者たちを殺し続ける退屈な時間がいつ終わるのかもわからずえんえんと続き、途中でその時間から抜け出すわけにもいかないで、ドラクエをする人は遊んでいるつもりなのにいつの間にか労働をしているような時間を過ごすことになる。ということをドラクエで遊んでいた自分を振り返ってみて考えた。
 部屋に戻り洗濯物を洗濯バサミで物干につり下げているとジーンズのポケットに何かごわごわしたものが入っているのに気がつき、またメモ用紙を一緒に洗濯したのかと思い、溶けてくっついて団子状になった紙を取り出してみると、紙の団子にはところどころ緑や赤の色がついていて、どうもメモ用紙のようには見えない。色のついたレシートだろうか、ATMでお金を下ろしたときの残高が印刷された紙だろうか、しかしこんなにまとまって団子になるほどの紙をぼくはポケットに入れていたかしら、そう思って団子を広げてみると、なんとそれは買ったばかりの銭湯の回数券だった。買ったときに1枚使い、残りの9枚をポケットに入れて帰って来てそのまま忘れて洗濯してしまったのだ! せっかくギター教室で稼いだお金もパーではないか! こんなことならばビートルズのCDを買ったほうがよかったじゃないか!

 なまじカゲキハの生活から抜け出そうとするとこんなことになる。まだまだ普通の人の生活にはほど遠いのかもしれない。このようにしてカゲキハのような私の日々は続いて行くのだろう。

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 洗濯物を干したあと、三条御幸町の劇場に演劇の手伝いに行った。ザ・ノーバディーズの浅井君が出演している演劇で、手伝いをしたのだからと無料で演劇をみて帰って来た。
 夜はS子さんと北大路の北京亭で中華料理を食べた。ちょっと塩分が多かったけれども、うまい中華料理だった。腹一杯食べて生ビールもジョッキ二杯飲んで、ふたりで3500円である。麻婆豆腐がうまかった。五目そばもうまかった。ギョウザもうまかった。こうしてうまい料理を食べていると、カゲキハの生活を忘れることができる。