敬老の日、伝記、劇団hako

今日は敬老の日。夏中かかって聞き取りをして書いたTさんの伝記の贈呈式の日。血が足りないのだというTさんはこの贈呈式に参加できるかどうかわからないとおっしゃっていたのだけれども、病院で輸血してもらったとのことで無事贈呈式に来られたのだった。人の伝記なので著作権とかどうなるのかよくわからないけれども、こっそりとぼくの秘密のウェブ・サイトにアップロードしておく。ここで読むことができますが、どうか秘密が守れる人だけクリックしてください。秘密が守れない人はクリックしてはいけません。

アパートに帰ってから戯曲『どどめジャム』の続きを書く。今日はすらすらと書けて、分量的には90パーセントくらいの所まですすんだ。書きながら「なんていい話なのだ!」とちょっと涙ぐむ。しかし自分で書いたもので泣いてしまうなどということは、あぶないことなのじゃないか。感傷に流されてはいけないぞ、おれ。ともあれ、今月中には最後まで書き終わるのではないかと思う。

夕方から劇団hakoの飲み会。劇団の集まりはかれこれ一年ぶりくらいになるのではないか。そもそも劇団hakoは2003年に始まったのだった。京都の東山青少年活動センターが「演劇ビギナーズユニット」という演劇初心者を対象にしたワークショップを毎年やってるんだけれど、2003年にそのワークショップに参加したメンバーでこの劇団はつくられたのだった。ワークショップではキャラメル・ボックスの戯曲を上演したのだった。ぴちぴちの女子中学生が出て来る戯曲を上演したのだった。銀河鉄道をみんなで見上げたりする戯曲を上演したのだった。夜中まで鴨川の河原で稽古をしたりしたものだった。2003年のワークショップの時に女子高校生だったMちゃんは今ではもう大学の四年生で、就職の内定も決まり、今日は「とりあえず生で」と生ビールを飲んでいた! ああ! 月日が経つのはこんなにも速いのだ!!

夜も更けて今日はこれで解散しましょうということになり、今度は忘年会で会いましょうということで、みんなでワリカンで飲み代を払うときになって、ぼくは自分のかばんに財布が入っていないことに気がついた。どうもアパートの部屋に置いて来てしまったようで、「しまった!」とか思ったけれども取り返しなんてつかず、結局劇団のメンバーにお金を出してもらうことになったのだった。ぼくはこの劇団でずっと戯曲書きと演出を担当していて、わりと責任の重い立場にいたはずなのだった。それなのに財布を忘れてこのざまだ。これではまるでカゲキハではないか。いや、カゲキハを通りこしてサザエさんじゃないか。申し訳ないことをしてしまった。忘年会では(もし覚えていたら)今日おごってもらったぶんをぼくが払いますので、すみませんけどよろしく。

劇団hakoは2007年からずっと活動をお休みしていて、このお休みはまだまだこれからも続きそうだ。なにしろみんなちゃんと社会人になってしまっていていろいろ忙しいっぽい。ぼくは戯曲を書くだけならできるけれど、それを稽古して上演するとなると、なかなか難しい。

久しぶりに友達に会ったりすると、その人と一緒に過ごした時間を思い出す。その記憶っていうのは、ぼくの頭の中にある記憶が思い出されるというよりは、その友達が持っている記憶がぼくの頭の中に流れ込んで来るということなのかもしれないということを、今日の飲み会でぼんやりと考えた。

今日は生ビールを四杯か五杯飲んだ。ごちそうさまでした。