わからないけどおもしろい

 小島信夫の『美濃』を再読している。今年の7月に善行堂で買ったときに一度読んで、そのときからまだ4ヶ月しかたっていないというのに、この本にどんなことが書かれていたかということをぼくは忘れてしまっていて、岐阜出身の画家のことなんかが書かれていたはずだということは漠然と覚えているのだけれども、でもこまかいことはきれいさっぱり忘れてしまっていて、読んで行くと「ああ、こんなにおもしろい本だったか!」と思うのに、そう思って読んだそばからどんどん忘れて行くみたいで、4分の1くらいまで読み進めたいまでは、最初の方に何が書いてあったのかを思い出すことができない。
 ストーリーがないというのが、たぶん内容をどんどん忘れてしまう原因のひとつなのだと思うけれど、書いてあることがよくわからないというのも、内容を覚えられない原因になっているのだろうと思う。どうして話がそういうふうにつながって行くのか、ということがわからない。登場人物があることを実際にしゃべったのかそれともしゃべったはずだと語り手が勝手に書いているだけなのか、ということがわからない。話がどんどんずれていくのでそもそも初めは何の話だったのか、なんでこんな話につながってしまったのか、ということがわからない。それから比喩もよくわからない。
 「もともとここでは蜂もヘリコプターもバイクの音も同じにきこえるのだ。それに私も郵便配達夫となって、バイクに乗って、手紙をくばって歩きたいくらいだ。」なんて書いてあったりするけど、「蜂もヘリコプターもバイクの音も同じにきこえる」ということが本当にあるのか? ということが良くわからないし、なんで郵便配達夫になって手紙をくばりたいと思うのかということも良くわからない。ぼくは読みながら「え? わかんない。わかんない」と思うのだけれども、わからなくてもなんかおもしろくて読みすすんでしまう。
 「どこか天地と対抗してみせているような、それでいて、何か二十代初めの、それも臈たけた女と寝ているような気配のただよう声である。」という比喩(?)なんかもよくわからない。天地と対抗してみせているような声ならばなんとなく、「すごくがんばっている感じの声なのかな」と想像がつくのだけれども、そこに臈たけた(気品のある、美しい)女と寝ているような気配がただよってくると、もうなにがなんだかわけがわからなくなる。わからないけど、やっぱりおもしろい。
 「これを読むと心が洗われたようになり、美しくなる。副作用のない自然の葉か根からとった、アクは強いがよく利く薬を刷毛にたっぷりしみこませて上から下まで内蔵を洗ったようなのである。」という比喩(?)もすごい。なんかすーっとする感じなんだろうなとは思うけど、なんでここまで細かく限定するのかがやっぱりよくわからない。けど、おもしろい。
 小島信夫は、「あの人はこういうことをしたに違いない」というようなことを、なんだかやけに細かくどんどん書いていったりするのだけれども、それがどんどんふくらんで行って、その人がやってもいないことなのに、読んでいる方としてはまるでその人がそこに書かれていることを実際にやったんじゃないかと思わせられる。
 「戦後すぐ、長良川畔のある家の一室を借りて仕事場に通っていた時分、高校生の数馬が訪ねてきて藤村の論文を書いているといった。これがコンサイス英和辞典を暗記したとろこから食ってしまったという秀才かと思った。」というところを読むと、数馬という人がコンサイス英和辞典を食べたんだな、とこれを読んでいるぼくは思うのだけれども、そのあとで、「コンサイスを食うというのは語学の出来る生徒の逸話の型であるのだから、ほんとうに食ったかどうかは分からない。」と小島信夫は書いているので、「ああ、やっぱり数馬さんは食べなかったのかも」とぼくは思い直し、だけどその次に「彼を見るとほんとうに食ったのではないか、と思えた。すくなくともみんなの眼の前で何頁かは食ってみせたうえで暗記したところを空でいったのであろうと思えた。」と小島信夫は自分の想像を書いていて、そうするともう、ぼくは数馬さんはコンサイスを食べていないかもしれなのにあたかも食べてしまったような印象をうけてしまい、数馬さんは食べたのだと書かれてはいないはずなのに、ぼくの頭にはコンサイスをむしゃむしゃと食べている数馬さんが記憶されてしまう。

 『美濃』では話題がどんどん脱線してずれて行く。ずれるというか、どんどん膨らんで行ってしまう。「いやあれは例によって、数馬が『モンマルトルの丘』の中でいったことになっているように、大ゲサな表現上のウソであろう。」と、ウソのことを書いていたかと思うと、「私の父親など、どういうわけか、『ウソつき捨さ』というあだ名で呼ばれていた。」と、突然それまでの文章と関係のない父親が出て来て、それからなんでお父さんが「ウソつき捨さ」と呼ばれていたのかな、ということを小島信夫は考え始めて、そう呼ばれた原因は「家賃を一年間ためていたことだろうか。」と家賃の話になり、それからけっきょく家賃は払わなくてもいいということになった現場を自分は見たのだったという記憶がでてきて、「あのときはもう幼児という年頃ではなくて私は母親の膝に甘ったれて乗っていたのかもしれない。」と今度は母親の思い出にうつり、なぜ五つになるまで自分は母親の乳をしゃぶっていたのかという理由が書かれ、それから「息子が小説家というものになって、父親のあだ名のことを書いたり、ためた家賃を一年分ゼロにしてもらったときのことなど書き始めるとは思ってもいなかった。」と、父親が思ってもいなかったろうことを書いて、ここまで読んで来ると、そもそも初めに何が書いてあったのか、ぼくにはわからなくなっている(たしかウソのことが書いてあった)。それに、なぜ父親の話題になったのか、なぜ家賃のことが出て来たのか、なんていうことも考えてみればよくわからない。「わからない、わからない」と思うんだけれども、このどんどんずれて飛び跳ねて行く速度や距離がおもしろくて、わからないのに大笑いしてしまう。
 小島信夫は流行語なんかもどんどん使ってしまう。「岐阜は何といっても地元だから、少々ネグってもいいくらいのところもなきにしもあらずだった。」という所を読んで、「ネグる」ってなんだ? と思ったぼくは辞書を引いてみたのだけれども、「ネグる」とは「ネグレクト」を動詞化したものだそうで、「無視する」という意味の学生語だそうだ。小島信夫はこんなところにさりげなく学生語なんて使っている! 今の感覚で言えば「disる」とかをさりげなく使ってしまうような感じだろうか。
 「disる」ということばを、ぼくはおとといぐらいに初めて知ったのだけれども、それは「とはずがたり」というこのブログの記事を読んだからです。図書館員の人は必見。