海が呑む

 三月十一日の地震のあとでO室さんから読むといいですよと勧められていた花輪かんじの「海が呑む」を、今ごろになってやっと読んだ。
 「海が呑む」を読んでみると、どうも三月の地震のあとでテレビのニュース番組とかで大学の先生がしゃべっていたようなことは、みんなここに書いてあったのかもしれない、と思う。たとえば津波がくる前には引き潮になる。とはかぎらないんですよ、とか。引き潮になるのは、海底がガタンと落ち込む地震のときで、そうすると落ち込んだ場所に海水が集まるのでいったん引き潮になり、それから集まった水が戻って来るのが津波になる。だけど、海底がガクンと持ち上がる地震のときには、引き潮が起こらずにいきなり津波が来る、ということが、二十年近く前に書かれたこの読みやすい短編小説集には書かれている。
 引き潮になったときにまる見えになる海の底のグロさを書いたところが、気持ち悪げで印象に残った。普段目にすることのない海藻だらけの海底を見てしまった子どもなどは、あまりの怖さにその後ワカメのみそ汁が飲めなくなる。というのは、子どもの気持ちがわかるような、わからないような、怖いような、おもしろいような。花輪さんはこう書いている。
 「ふだん穏やかなコバルトブルーの裳裾を、汀(みぎわ)でゆらめかしているだけで貴婦人のような海が、とつぜんアバズレに変身してスカートをまくり、性器をまるだしにするにも似た、正視にたえぬ狂態である」
 それはたしかに狂態だろうなあ。まるだしは。

 「海が呑む」によると、なんでもむかしの国語の教科書には「稲むらの火」という話が載せられていたそうで、その「稲むらの火」を教科書で読んでいた老人たちは、地震が起きたあとでは津波がくるということがすぐに頭に浮かんで、それですぐに避難することができたそうだ。「稲むらの火」のもとになったのはラフカディオ・ハーンの「生き神」という話だそうで、それを短くして、教科書が載せていた。「稲むらの火」はこんな話。
 海辺の村に地震が起こる。長いゆったりとしたゆれ方とうなるような地鳴り。五兵衛さんは津波が来るぞ、とピンと来たけど、他の村の人は誰も避難しようとしていない。それで五兵衛さんは大きなたいまつを持って、収穫が終わったばかりの自分の田んぼにとんでいって、田んぼに積んである稲の束に火をつけてまわった。日はもう暮れている。田んぼの火で夜空が明るくなっているのを見て、村人たちは「火事だ! 火事だ!」と五兵衛さんの田んぼに駆けつける。で、津波が来た時には村人は五兵衛さんの田んぼに集まっていて助かった。という話。この話はフランスの教科書とかにも採用されていて、それだから「Tsunami」という言葉が国際語になっているのかしらねえ、この話を今の教科書にも載せたらいいのにねえ、と花輪さんは書いている。「私は、まだ若くやわらかい頭脳に、津波ばかりか地震その他のおなじみの災害について、基本となる知恵—いかに上手に恐れるべきか—を、たたきこむのが大事だと愚考する。国語教科書とはなにも、文学伝習の場だとはかぎるまい。この風土に生まれついた者が無事に生きてゆける知恵をおそわる場でもあるはずだ」。
 地震とかが起こったときに冷静沈着でいる人は命があぶないですよ、ということはテレビでも言っていたけど、花輪さんは「あれは冷静でも沈着でもなく、正しく恐怖するだけの知識がそなわっていない、その表れではなかろうか」という。
海が呑む (新潮文庫―悪夢小劇場)