noise-poitrine2012-06-26

 妻のいとこがウニをいくつも食べたのだという記事をきのうのブログに書いたけど、いとこが食べたのはウニではなくてトロだったらしい。いとこはトロばかりいくつも食べていた。妻はそれを横で見ていた。子供のころに食べた物でひどく印象に残り、今でも忘れられないのがアワビだ。アワビを食べたのは僕だ。実家での宴会だった。南の庭に面した大きな掃き出し窓からは昼間の明るい太陽の光が部屋にいる大人たちを照らし、テーブルの上の料理の皿を照らし、太陽の光に目を細める大人にはさまれて僕はそこに座っていた。あれはたぶん死んだ祖父の法要だ。祖父は何十年も前に死んでいた。死んだ時祖父は二十六歳で、そのとき三歳だった父にはもう三人も子供がいる。
 インターネットで調べてみると、年忌法要というのは一番ながいので三十三回忌と書いてある。この宴会はきっと三十三回忌の宴会だったのだろう。あるいはぜんぜん別の、ただのめでたい宴会だったのかもしれないが。
 三十三年もたつとそこにいるほとんどの人が祖父のことをぼんやりとしか思い出せない。祖父は群馬のこの場所で生まれ育ったわけではなく、出身は東京で、東京から群馬の工場に技師として呼ばれて来て、そこで祖母と出会い、結婚した。群馬のこの村に住むようになって何年もたたないうちに死んでしまった。だからそこにいた大人たちが祖父のことを思い出そうとしても、ほとんどの人は祖父の姿をぼんやりとしか思い出せなかった。ここで宴会をする人たちの中で、祖父のことをきちんと覚えているのは祖母くらいのものだったろう。祖母は二十六歳の祖父の写真を部屋に飾り、三十三年間毎日それを見ていた。この写真は今でも祖母の部屋に飾ってあるから、今年米寿を迎えた祖母は六十年くらいのあいだ、毎日この写真を見て暮らしていたことになる。
 宴会ではみんな楽しそうに笑っている。和尚さんも笑っている。これは僕がまだ小学校に入ったばかりの頃の、あるいはまだ小学校に上がる前の宴会だ。寿司屋のカウンターで、妻が妻の子供時代を思い出しているとき、僕は僕の子供時代を思い出しながらアワビを食べていた。この子供の頃の宴会の思い出はこれから先僕がアワビを食べるたびに思い出される思い出で、さらに妻のボーナスで寿司屋に行き、妻のいとこがトロばかり食べていた話を聞いていた思い出が、アワビにつけ加えられることになる。

 東京では6月15日に1万人ほどの人が国会議事堂の前に集まり、原発反対のデモをしたらしいのに、僕はそのことを知らなかった、ということにあせりを感じる。こんなに何も考えずにいていいのかしら。
 ニュースが流すのは、テレビ局によって選ばれた情報だ。ニュースを見ている僕は、ニュースに選ばれなかった情報は必要のない情報なのだと知らず知らずの内に思い込んでしまっている。情報とは命令のことだ、と佐々木中さんは何かの本に書いていたけど、ニュースを見て情報を得るということは、ニュースによって伝えられる情報以外は無視せよ、という命令なのじゃないか。
 ニュースでは原発の情報も流される。NHKのニュースなどで、大飯原発の再稼働の準備が進んでいる、と報道されると、それはすでに変更のできない決定済みの現状をありのままに伝えているものなのだ、という風に僕は思い込む。NHKがそういうのなら、それはもうそうなるしかないのでしょう、大飯原発は近いうちに再稼働するのでしょう、と思い込んでしまう。冷房も計画停電もいやだし、さしあたっては害がなさそうだし、NHKが再稼働するというのなら、それはやむを得ないでしょう、それよりも気になるのは消費税だよと、テレビばかり見ている僕は原発のことを何も考えずに受け入れるモードになってしまっている。そういえば録画しておいた「相棒」があったんだ、あれを見ながらごはんでも食べようと、ごはんを食べる頃には原発のことなど忘れてしまっている。ときどき思い出すのは消費税のことだけ。