noise-poitrine2012-06-27

 実家の母から中学校の同窓会の案内が送られて来た。このはがきを見ていろいろと中学時代の友達の顔が思い浮かび、懐かしい気持ちになったのだけれど、でもたぶん、僕はこの同窓会に行かないだろうと思う。中学を卒業したのはもう20年近くも前のことで、それ以来会っていない友達と今ごろになって会うということにどうも抵抗を感じてしまう。その人を僕はその時どんなふうに呼んでいたのか、だいたいその人の名前は何だったか。おまえはそんなに禿げてしまったのか。あの子はかわいらしい子だったのにあんなになってしまったのか。まだ結婚していない? 次の結婚が三回目? そんなことを知りたくないぞ、とネガティブに考えてしまう。いや、行ってみれば、面白い話がいろいろきけるかもしれないじゃないか。久しぶりに懐かしい顔を見て、おまえ変わってないなと安心できるかもしれないじゃないか。あるいは、中学時代には一度も話したことのなかった同級生と意気投合してしまい、そこから新しい人間関係が開けて行く、ということもあるかもしれないじゃないか。いや、きっとあるにちがいない。でも、そんなふうに人間関係を広げて行くことにどうも僕は後ろ向きになってしまい、とりあえず今のままで細々とやっていけたらいいやと、そんなふうに思ってしまう。

 今週から通勤の電車の中で『ドン・キホーテ』を読んでいる。ドン・キホーテの狂いっぷりが気持ちよくて、車内でニヤニヤと笑ってしまう。岩波文庫で読んでいるのだけれど、岩波文庫の紙の手触りがちょっと感動するくらい気持ちよくて、もうこれからは電車の中では岩波文庫しか読まないぞという決心をしたくなるほどだ。小口の滑らかさがはんぱない。たぶん本を作るときに大きな裁断機でバサーッと小口を切るのだろうけど、きっと岩波文庫を切る断裁機の歯の切れ味がいいからなのだろうな。最近SFに興味が向いて来たので読んでいる早川文庫などは、小口の断面がギザギザで、このぎざぎざを触りながら本を読んでいても、ギザギザの手触りのまずさにばかり気をとられてしまい、いまひとつ本の中身に集中できない。文庫本はカバーをとって読む。カバーはたいていつるつる素材だもんだから、読みながら手がすべるようで気持ちよくないから。カバーをとった表紙の紙がしっとりと手の油を吸収してくれるような手触りが僕は好きで、岩波文庫はこの表紙の紙の質感もすごくいい。