noise-poitrine2012-06-28

 近所では猫を飼っている家が多くて、左隣の大家さんの家で飼っているミーちゃん、斜向かいの家のコタロウ、三軒右隣で飼われているらしいタヌさん、タヌさんと同じ家かその隣の家で飼われているキジトラ、それから我々の家の前を通る砂利道の私道が大家さんの家の前をずっとのびて行き右に曲がってアスファルトの道路につながるそのつなぎ目のあたりの家で飼われているモモコという茶トラの猫もいるけど、モモコは砂利道の私道には絶対に入って来ない。出勤時などにときどき会うモモコは、側溝の蓋の上で前足をそろえて座り、後ろ足でほおづえをついたりなどして、ぴくりとも動かずじっと僕を見送る。
 僕の家に遊びに来る回数がダントツでトップなのがタヌさんだ。タヌさんは白茶けた灰色っぽい毛の色で、しっぽが五センチくらいしかなく、まるまると太っていて、この猫がどすんと我が家の塀の上から濡れ縁に飛び降りた音を聞いてなんだろうと窓の外を見た妻が「タヌキ!」と叫んだというのが、タヌさんをタヌさんと呼び始めたそもそもの始まりで、それがここに引っ越して来たばかりのころだから一年半くらい前のことだ。我々はタヌさんの本名を知らない。タヌさんを飼っている家の人とは、まだ一度も顔を合わせたことがない。子供も住んでいるようだけれど、その子が外で遊んでいるところもまだ見ていない。
 タヌさんがうちに来ると、我々は必ず煮干しを出す。初めの頃はタヌさんは見知らぬ我々を警戒していて、煮干しを出してあげるとじっとそれを見つめ、それから顔を上げて我々をみつめ、その目をまた煮干しに戻し、いつまで経っても煮干しが食べられない。我々がうしろに離れると、おそるおそるという感じでゆっくり煮干しに近づき、煮干しをくわえるとパッと我々の手の届かない門のそばまでもどり、そこで我々に背を向けたままカッカッカと急いで煮干しを飲み込み、飲み込んだあとはまたくるりとこちらにふりむいて、物欲しそうな目で我々の手元の煮干しをじっとうかがう、ということを繰り返していた。
 初めのころのタヌさんは絶対に玄関の敷居をまたごうとせず、もちろん我々に体を触らせることもなかったのに、それが今では畳の上にまで上がり込み、我々の手からちょくせつ煮干しを食べ、我々がお腹をなでてもなでられるままになっている。石の上にも三年というが、やはりなんでも時間をかけてとりくんでみるものなのだなあ! 次の冬が来る頃には、タヌさんが我が家のこたつで丸くなっている、などということだって起こりえないことではないではないか!
 そんなタヌさんにあげる煮干しがそろそろなくなって来たので、今日は図書館に行くついでにスーパーマーケットによって煮干しを買って来たのだけれど、そのスーパーマーケットでちらりと見かけたお婆さんが僕の母方の祖母にそっくりだった! お婆さんの横には買い物かごを持ったお爺さんもいて、となるとあのお爺さんは僕の祖父ではないか! おじいちゃんまだ生きていたのか! とよく見るとこのふたりはぜんぜん僕の祖父母に似ていない別人で、お婆さんは人差し指を頬に当ててみりんか何かを選んでおり、その横でお爺さんはぜんぜん別の方を見て立っている。
 この二人は僕の祖父母ではないけれど、でもこの二人の老人みたいに、僕の祖父母も祖父が生きていた頃には一緒にスーパーマーケットに行き、肩を並べてみりんを選んでたりした時間があったのだろうなあと、その時の祖父母の時間が目の前に再現されているようで、あの二人を見た僕は祖父母のことを考えずにはいられない。しかし祖父母は本当に二人でスーパーマーケットに行き、一緒に買い物をしたことがあったのだろうか。祖父母の家の周りには、たしかスーパーマーケットなんてひとつもなかった。