noise-poitrine2012-07-30

 こないだ深見さんとあったときに、おばあちゃんのおばあちゃんと会ったら話が合うと思うか、ということを言われて、なんで急にこの話題になったのかな? と思ったんだけど、思い返してみると、あれは深見さんが恐山に行きたい、と言っていた話題の延長だったのだな。恐山といえばイタコだものな。恐山の話題のときに僕は雪山で遭難した陸軍の人たちのことを思い浮かべていたけど、陸軍の人たちが遭難したのは八甲田山だったな。
 おばあちゃんのおばあちゃん、という話が出たとき、僕の頭に浮かんだのはタイムマシンでおばあちゃんのおばあちゃんに会いに行く場面で、そこではまだ子供のおばあちゃんがおばあちゃんのおばあちゃんと遊んでいる。ふたりは畑のあぜ道とかにいて、蝉の声の中、大きな声で噛み合ない会話をしている。その頃の夏はまだ今ほど暑くはなかった。
 深見さんが考えていたのはおばあちゃんのおばあちゃんがまだ若いときのことだった。おばあちゃんのおばあちゃんが若いときって、どれくらい前になるのだろう。明治時代か? 江戸時代か? その頃、僕の実家はまだ畑か田んぼだったはずで、まだ若いおばあちゃんのおばあちゃんは僕の家が建つはずのその場所で畑を耕している。その背中にはおばあちゃんのおとうさんがおぶわれている。

 我々の家にはエアコンがない。ストーブはガスのやつがあるから、冬はそれでなんとかしのいでいる。しかし夏になるとどんなに暑い日でも扇風機ひとつでやりくりしなければならない。仕事のある日はまだいい。クーラーのきいた室内で、パソコンをたたいていれば時間が過ぎる。困るのは休みの日だ。家にいたのでは頭がぼーっとして何もできない。下手をすると死ぬ。
 というわけで、今日は妻の実家に避難してクーラーのきいた部屋を貸してもらった。12時に行くと妻のおかあさんがそうめんとお寿司を出してくれる。妻の家族と食卓を囲むが、寿司はほぼ僕がひとりで食べていた。ごちそうさまでした。
 妻が結婚する前に使っていた部屋で、妻の二十代のときの写真を見せてもらう。この頃の妻を僕は知らないのだな、と思う。独身の妻がカメラにピースを向けて笑っているのを見ると、なんだかすげえ楽しそうでうらやましいような気分になる。

 僕の生まれた実家にはクーラーがなかった。今はあるけど、僕が子供の頃にはなかった。夏の暑い日は頭がぼーっとして何もできず、僕は母と一緒に畳の上に転がっていた。その頃のヒーローといえばやはり高橋名人で、その高橋名人がこんなにつるつるになってしまったのには正直びっくりした。