noise-poitrine2012-08-10

 こんどの戯曲は「東京サイバーパンク」というのを書いているのだけれど、これは20世紀からみた21世紀というのが主題のひとつになっている。もうひとつの主題は田舎からみた東京。あとは、ありえたかもしれない未来という主題。あとは現在から見た弥生時代という主題や、東京の地下を流れる水とかの主題もあるけどそれはおいといて。
 子どもの頃に想像していた未来、というものがこのごろ俄然気になりだしていて、それをネタにしてひとつ戯曲を書くことをしてみたいと思っている。戯曲を書く楽しみは、書く過程でいろいろ考えたり思い出したりできるということで、戯曲を書いている時間には、普段考えないこと、思い出さないことを無理矢理考え、思い出すことができる。今回の戯曲では僕が子どもの頃に思い描いていた未来、というものをいろいろ思い出したいと思っている。
 そういうわけで、このごろは20世紀の頃に僕がどんなふうに生きていたか、ということをいろいろ思い出したりしてるんだけど、やっぱし未来とか21世紀とかがなんかすげえ明るく希望にあふれていたのは、80年代前半の頃だったよな、と思う。学研の「科学」とかを毎月読んでいたんだけど、あのころの未来はとても明るかった。テレビでも「ミーム いろいろ夢の旅」を毎週僕は見ていたんだけど、あのアニメもホントたのしかった。
 未来は明るいね、という空気の中で開かれたのが85年のつくば科学万博で、あの万博が明るい未来をイメージできるピークだったんじゃないかしらと、今になって思う。科学万博はまだバブル経済が始まる前の、ぎりぎりバブルの前に開かれていて、つくば万博が9月に終わったそのすぐあとにプラザ合意があり、そこから日本はバブル経済に入っていった。その頃から世の中はお金を中心に動いて行くようになったっぽい。
 未来はもしかしらたそれほど明るくないのかもしれない、と漠然とした不安を感じ始めたのがたぶん翌年の86年で、アメリカではスペースシャトルのチャレンジャー号が発射直後に爆発して乗組員が全員死亡し、ソ連ではチェルノブイリの事故があった。チェルノブイリの事故のあと、放射能が群馬の山の中にも飛んで来ているらしい! という噂が小学校に流れ、それが僕らをどれほど怖がらせたことか。放射能はアミ目を通れないらしい、という本当か嘘か良くわからない話が学校に流れた。そのころ僕らがかぶっていた黄色の野球帽には目を覆うメッシュが前頭部にたたみ込まれていて(と書いてもぜんぜん何のことだかわからないと思うけど)、通学の際にはそのメッシュを降ろして目を覆い、道路と川の間にアミ状のフェンスがあれば、子どもたちはそれを乗り越えて川の側に入り、道路からやって来るだろう放射能を必死で避けようとしていた。
 そんな通学路を歩くうちに、僕たちが大人になってから経験する未来は、もしかしたらそんなに明るいものではないのかもしれない、と未来に対する不安を感じ始めた。それがたぶん僕が小学校4年くらいのときだ。
 そんな僕らが毎日テレビの前に座ってみていたのがこの映像。