noise-poitrine2012-08-20

 群馬の実家に帰るとき、いつもなら東海道新幹線に乗って東京経由で帰るのだけど、今回は岐阜や長野を通る「ワイドビューしなの」に乗って、木曽川姨捨の棚田などを見ながら時間をかけて帰った。こちらの方が切符が安い、というのもあるけど、だいぶ前から妻が松本に行ってみたいと言っていたので、今回は松本で途中下車して雑貨屋さんなどをのぞいてみよう、という目的もあった。
 僕らが松本で下車して、まず一番に目ざしたのが10センチという木彫りの食器などを売るお店で、この食器などを彫っている三谷さんという人のつくるものが、妻はとても好きなのだ。僕らの住む家の座敷には三谷さんの彫った小さな時計がかかっているのだけれど、これは妻が結婚する前から大事にもっていた時計らしく、結婚して一緒に住むことになったとき、妻は座敷にこの時計をかけてとても喜んでいたっけ。
 通りに面した10センチは、入り口の上に大きく「山屋」と書いてあるので遠くからでもよく目立った。昔はタバコ屋さんだったという建物を使っているという話なので、「山屋」というのはタバコ屋さんの名前だったのかもしれない。建物の壁に小さなタイルをいっぱい張り付けて、タイルで「山屋」の文字が書いてある。妻はここで木彫りの小さなスプーンや小さなフォークを買った。
 松本は蔵の多い町だという印象を受けた。蔵の建ち並ぶ通りをぶらぶら歩き、そばを食べ、手編みのかごを買い求め、ロボットがつくってくれるブルーベリー味のソフトクリームを食べ、駅に向かったのは三時頃だったろうか。それから電車を乗り継いで軽井沢まで行き、車で迎えに来てくれた両親と合流した。軽井沢辺りまで足を伸ばした日は夕食が必ず駅弁の釜飯になる。それが群馬の家の不文律となっている。両親はお刺身も用意してくれていて、晩ご飯には釜飯とお刺身と、あとはからあげなんかも出て、食べきれない程だった。
 翌日は家の近所にある貯水池に行き、貯水池の周りをぐるりと一周歩いた。僕は何年か前から、僕が生まれた集落を写真に記録しておきたい、とずっと思っていて、帰省するたびにカメラを持って近所を歩こうと思うのだけれど、いつも「まあ、また今度でいいか」となんとなく面倒になってしまい、記録をするのが伸ばし伸ばしになっている。「どうせ過疎の集落なのだ、記録が半年くらい後になってもたいして変わるまい」、そう思っているうちに何年かたち、まあ、集落の様子はたいして変わらないのだけれど、それでもいつの間にかきれいな新しい家が建っていたり、畑だった所がアスファルトの道路になっていたり、少しずつ変わって行ってしまう。だから今回ははりきってカメラに36枚のフィルムを詰めて帰省したのだけれど、なんとなく「まだ暑いし、こんな暑いなか歩くのも大変だから、まあまた今度にしよう」と、今年も先延ばしモードになってしまった。両親は、せっかく息子がヨメを連れて帰って来たのだからどこか観光地に連れて行こうと「榛名湖にでも」と声をかけてくれるのだけれど、観光地に行くよりは自分の生まれ育った古い集落を見ておきたい、というのが僕の希望だから、だけどその僕も集落を記録するぞという決心はすでにくじけてしまっているので、その折衷案みたいなことで、近所の貯水池を歩くことになる。
 貯水池は、父の話では一周4キロだという。ここを両親と妻と4人で一周歩き、それから安中の田舎やというそば屋に車で乗せて行ってもらい、そばを食べた。このそば屋は毎年帰省するたびに連れて来てもらうという、これも不文律なのだけれど決まりがあり、ここはからりとあがった天ぷらがとてもうまい。そばがきもうまい。
 食べ終わると、せっかく安中まで来たのだからと妙義山までドライブに連れて行ってもらい、まだ花のないコスモス園から妙義の山を見あげたり前橋の町を見おろしたり。帰りの車の中では子どもの頃に妙義山を登った話を父や母とする。
 両親の家に帰って来るといつも父の運転する車で移動する。僕も運転免許証を持ってはいるのだけれど、何年も運転をしていないペーパードライバーなので、34歳にもなっていつまでも親に苦労をかけることだなあと、少しだけ心苦しく思いながらも、後ろのシートに妻と並んで座り、窓の外の田んぼや山を見ている。田舎の風景を見ながら、父と母の話に相づちを打ちながら、いつのまにか僕はうとうとと居眠りをする。
 夕方になる前に家に帰り、そのままふとんに倒れ込み、何時間か昼寝をした。昼寝から覚めると、妻と二人で家の周りを歩いてみた。子どもの頃よく遊んでいた近くの山は、もう草ぼうぼうで入ることができないと母がいっていた。どこまで行けるか試してみようと思ったけど、日が暮れて来たし雨も降って来たのであきらめて帰った。晩ご飯を食べ、お風呂に入り、昼間のそば屋で母が300円で買ったスイカを寝る前にみんなで食べたが、これがとても甘かった。
 父と母の修学旅行の写真を見たのはこの日だったろうか。二人とも高校のときに京都に修学旅行に来たのだけれど、同じ場所で同じアングルで撮影している写真が何枚かあったのがおもしろい。
 三日目、隣の家に挨拶に行く。お盆休みに入ってからほとんどヒゲをそっていなかったため、僕はヒゲぼうぼうで、そのせいなのか隣の家のおばさんはひげ剃りを二本僕にくれた。父の車で母方の祖母に挨拶に行き祖母の家で焼きまんじゅうを食べた。20年ぶりくらいで食べた群馬の焼きまんじゅうは「こんなにも!」とびっくりするくらいうまかった。ああ、これからは帰省するたびにこれを食べたいものだなあ。こんど90歳になるという祖母はまだ畑仕事をやめないでいるという話で、祖母のつくった茄子の漬け物をごちそうになった。
 祖母は母にもらった漬け物のもとを使って茄子を漬けたのだというが、これがうまくつからないのだという。そんなはずはない、うちではちゃんとおいしくできたと、母がいう。ちゃんと説明どおりにつけたんだけど、という祖母によくよく話を聞いてみると、祖母は
1、漬け物の粉を全部使わずに少し残しておいた
2、6本くらいと書いてあったけど、10本茄子を入れた
という話で、年寄りのもったいない精神が二十一世紀になった今でもここに息づいているのだなあとしみじみと感心しつつもみんなで大笑いした。
 この後、下仁田の駅周辺を歩いてみようということになり、父の運転する車で母と妻と4人で下仁田に向かうのだけれど、下仁田のことはまた明日書くことにしたい。