noise-poitrine2012-09-04

 保育園に甥を迎えに行った。
 甥の母親の職場で避難訓練があったりなどして、保育園の終業時間までに甥を迎えに行けない、そんなときはいつも私に連絡が来ることになっていて、私たち夫婦は暇でもあることだし、たまには甥の顔もみたいしで、夫婦そろって保育園めざして出かけて行くことになる。もちろん避難訓練などのイベントがあるときは何週間も前からこちらに連絡があり、そうすると私たち夫婦は甥に会える金曜日の夕方を楽しみにしつつ、一日いちにちを過ごしていく。
 保育園に行くのは2度目なので、甥がどの部屋で待っているかも分かっている。その部屋の前に立ち、ドアの小さな窓から室内をのぞくと、椅子に座って先生のおはなしを聞いていた甥がぱっとこちらを向いてにっこり笑った。
 甥の笑顔を見ると、弟の幼い頃の笑顔を思い出す。幼い弟を迎えに来たのだと錯覚しそうになる。
 保育園の庭から短い虹が見えた。
 雨がしょぼしょぼ降る中、私が甥を肩車して、三人で話をしながら甥の家まで帰り、義妹が仕事から戻ってくるまでの小一時間、甥とiPadのゲームをしていた。
 この日は初めて甥の家(というか弟夫婦の家だな。しかし弟は単身赴任で京都にいないので、義妹と甥が二人暮らしをしている家だ)に泊まらせてもらうことに前々から話が決まっていて、私たちは義妹がとってくれた大きなお寿司の桶を囲み、私はビールをたくさん飲み、DVDで映画「スティッチ」の続編を見て、それから私は初めて甥と二人で風呂に入った。
 おもちゃでいっぱいの甥の家は、お風呂の中もやっぱりおもちゃでいっぱいだった。甥は湯船につっ立って、いつまでもいつまでもカエルのおもちゃで遊んでいて、結局この日はからだも頭も洗わなかった。シャワーを浴びる私が、手が滑ったふりをして甥の頭にシャワーのお湯をかけ、そうすると甥は「やだよ」と手で振り払う仕草をする。そうして少しだけ甥の頭を濡らして、それで頭を洗ったということにして風呂を出た。
 「11時のお化けがくる!」と甥が顔を青くして寝室に行ってしまうと、たちまち私も眠くなり、義妹が甥のおもちゃ部屋に敷いてくれていたふとんに横になり、甥のおもちゃに囲まれて眠った。

 翌日、義妹と甥は奈良に行くという。私たちは家でパンを食べ朝食をすますと、4人で駅まで一緒に行き、別々の電車に乗った。我々と別れるときに甥は大泣きをしていたが、泣いている甥に私は何もしてやれない。向かい合ったホームで泣いている甥に「またくるよ」と手をふりながら、これから甥はたくさんの別れを経験するのだろうな、とふと思った。甥は、人とのつらい別ればかりの人生に自分が参入してしまったことを嘆いて泣いていたのかもしれない。

 私たち夫婦は毎月一日に映画をみることにしているのだけれど(といっても先月からこの習慣を始めたんだけど)、今月見た映画は『かぞくのくに』という日本の映画だった。祖国に帰った男が日本に残った家族のもとに3ヶ月の予定で帰って来る、という話。男の叔父さんが「俺はおまえらのことが実の子どものようにかわいいんだ」と言ったとき、私は私の甥のことを考えた。映画の中の甥は16歳のときに祖国に帰る船に乗ったというが、船にのる間際、父親には言えないことをぼそっとおじさんに言ったという。それをおじさんは25年たっても忘れることができず、それを泣きながらしゃべっていたりして、そんなのを見ているととてもつらい。
 甥との関係は25年たっても50年だってもずっと続いていくもので、甥ができるまでの私の人生には存在しなかったこの関係性が、これから一生ずっと続いて行くのだなと、スクリーンに映るはげ頭のおじさんに自分を重ねてみたりしつつ映画をみていた。

 そしてこの動画は、私の弟が私の甥と同じくらいの年齢のときに、私と私の弟が聞いていた歌の動画。