日曜日の午後、北区の古本屋めぐりに妻と出かけた。朝から天気が悪く、途中で雨が降って来るかもしれないねと、そんな心配をしつつも、古本が待っていると思うとうきうきしてしょうがない。賀茂川にかかる橋を自転車で渡りながら川を見おろすと、河原に並んでいる桜が枝ばかりになっている。もう葉っぱが全部落ちてしまったのか! 厚着をした老人が、落ち葉の上をゆっくりと歩いているのが見えた。
 大宮通りの商店街を南に下りながら、何年か前にここで開かれたお祭りに参加したことを思い出した。日曜日を定休日にしているお店が多いのか、開いている店も歩いている人も少ない。がらんと静かな商店街を妻とふたりで通り過ぎながら、あのお祭りで笛を吹きながらパレードしていた自分たちが思い出され(あれはまだ妻と知り合う前だった)、あの時の自分らが笛を吹いたり太鼓を叩いたりしながら、すぐわきをすれ違っていく様子を見るようだ。

 あの時一緒にいた人たちのことを思い出し、その人たちとどんな会話をしたか、どんなふうに時間を過ごしたかを思い出し、あのときの時間がこの商店街にまだ残っていて、何年か前のその時間と、今の時間とを僕は一緒に生きているような、そんな気がする。

 鞍馬口通りを右折して、ベスパとかガロとかスガマチ食堂なんかを通り過ぎ、月光荘まで行くと月光荘がやけににぎわっている。月光荘の横にくっついたカドヤから、ビールのジョッキを持った髪の長い男の人がぶらぶらと出て来て道路を渡り駐車場の前のベンチに座った。この寒さだというのに、ベンチに浅く腰掛けて冷たいビールをゆったりと飲む様子はいかにもリラックスしている。
 カドヤを右折し北上して建勲神社を通り過ぎ、噂の世界文庫に行った。噂というのは、ミナ・ペルホネンの皆川さんとか、ミュージシャンの誰々さんとかの蔵書なんかが売られているらしい、という噂で、こういう噂はいつも妻が友達から教えてもらったりツイッターで見つけて来たりして、それで僕の所に届くことになっている。
 白いペンキが塗られたばかり、みたいな感じの店内には、しかしそれほど本が多くない。面白い本はもうみんな売れてしまったあとなのか? 隙間の多い本棚や平台の上に、本たちが表紙を見せておかれている。
 山下清の画文集みたいなのがあって、文字が斜めに印刷されてたり、山下さんの自筆の文章が載っていたりしてちょっと欲しくなったけど、財布とそうだんして買うのをやめた。
 世界文庫では、本を買いに来たお客さんとお店の人とが、月光荘の話をしていた。月光荘ではお祭りをやっているらしい。それで僕らもそのお祭りに行ってみようということになる。それにしても月光荘に集まっている人たちのアウトローな空気はこないだの甘夏ハウスの上を行くもので、もしひとりで来たのだったら、とてもここに入っていく勇気がない。月光荘の前をほぼ毎日通勤していた頃から、月光荘の醸していたゆるい空気には憧れを感じつつもしかしそこに参加できない自分を歯がゆく思っていた。あんなアウトローな空気を醸す人に僕もなりたいけど、しかし本当にアウトローになってしまえる程の度胸はなくて、かといって会社員になってちゃんとサラリーを稼いでいるわけでもなく、中途半端なまま毎日ぬるい日常を送ってしまっている、そんなこんなでもう35歳になろうとしている、人生の半分が過ぎてしまった、俺はやりたいことをやっているか、生きたいように生きているか。アウトローな空気に触れるたびにそんなことを考えてしまい、自分の小ささを見るようだ。
 今回も、アウトローなお祭りに入って行けるかどうかの自信がない。とりあえず前を通ってみて、入れそうな雰囲気だったら入ろうということを妻と話し、自転車を押しつつ月光荘の裏を通ると、木彫りの大きなダンコン(うちにあるガスストーブをもうちょっと長く伸ばしたくらいの大きさ)を持っている人がいて、集まった人らを楽しそうにダンコンで「えい、えい」と突いていたりする。突かれる人も楽しそうに笑っているのだけれど、しかし僕らは「あ、こんなダンコン的雰囲気だと、ちょっとここに分け入っていくのは無理かも」と少し断念しかけて、でも表に回ってみると餅つきの用意をしていたり、店の前でコーヒーを入れている人がいたりするその入り口の脇で野菜が並んで売られていて、「あ、野菜があるのなら大丈夫かも」と野菜をみて安心してしまうのはなぜだろう。
 雨も降って来たことであるし、コーヒーは安くてうまそうだし、それになんといっても野菜を売る場所ならば間違いはないだろうと、とりあえずコーヒーを一杯買い、ふたりでコーヒーの紙コップをパスしあい、ちびちびとすすりつつ月光荘の奥へ入ってみると家の真ん中に飲み屋のカウンターみたいなのがあって、その中で元気のいい女の人たちがお湯を沸かしたり料理を作ったりしている。カウンターの先にはギターで弾き語りをしている人がいたりして、その周りに集まった人たちがわいわいと楽しそうに笑いながらしゃべっている。なんとなくアングラ芝居の舞台とかを連想する。
 しかしここに集まっている人たちと僕はどんな話をするのだろう? それがぜんぜんイメージできない。あの映画みた? あの場面がすげえんだよ。とか、そんな風に何か文化的な話をするのが楽しいんじゃないかと漠然と想像してみるけど、でも僕には夢中で語れる映画の持ち合わせがない。ならば読んだ本の話か? 聞いた音楽の話か? しかし僕は本や音楽をどんなことばで語るのか、その言葉の持ち合わせがないような気がする。このごろは、自分の考えや感じを言葉にするということをサボっていたのではないか。自分の考えや感じを言葉にするのに、ツイッターはもってこいの道具なのではないか。つぶやくとは、言葉にしにくいものごとを言葉にするためのいい訓練になるのではないか。そう思ってみたりするけど、まだ僕はひとこともつぶやいていない。
 けっきょく月光荘では誰ともしゃべることをせず、コーヒーを買っただけで帰る。帰り際、男の人が「みんなで食べましょう。もう、みんなで食べましょうよ」と食べかけのクッキーを僕らにくれた。白く厚いこのクッキーは、噛んでいるとただ甘いだけでなく何かのスパイスが入っているようで、ああ、いろいろ工夫をしてスパイスを混ぜつつこのクッキーを焼いた人も、あのお祭りの中にいたのだろう、こんなにスパイシーなクッキーを作るのはどんな人なのかと、クッキーを焼いた人のことを考えつつ小雨のなか自転車をこぎ、一口もらっただけなのにやけに食べごたえのあるこのクッキーは、2軒目の古本屋カライモブックスにつくまで口の中にあり、スパイスのつぶをプチプチと噛みながら古本を見た。2年ぶりくらいのカライモブックスは本が増えていて、ああ、古い本に囲まれているとどうしてこんなにも心が安らぐのかと、いろんな本の背表紙を見ている時間がほんとに楽しい。
 夕飯は湯どうふ。このところ日曜日の夜はいつも湯豆腐だ。ハマチの半身が安く売っていたので、これを薄く切ってしゃぶしゃぶみたいに湯豆腐の鍋に浸し、半生の状態で醤油とわさびで食べた。

 五反田団の人たちがヨーロッパツアーから帰って来たのを、ツイッターで知る。ツイッターにリンクされた写真をみると、ああ、この人たちは自分たちのやりたいことをして、それを外国の人にまで届けているのだなと、尊敬するような羨望するような気持ちだ。