noise-poitrine2013-09-04

 あと20年か30年もしたら、生後1週間の頃の娘に会いたくてしかたなくなるんじゃないかしら。
 今朝みた娘の顔を思い出す、しかしそれはもう20年も30年も前の娘の姿なのだ、あああのちいさかった娘にもう一度会いたいなあ、という年老いた将来の自分の気持ちを思い出して、仕事中に泣きそうになっている。老人が孫の顔を見たがるというのは、孫に会うことで、かつての幼かった自分の子供にもう一度会えるような気がするからなのだろうか。
 集中治療室に入っていたときはガッツ石松にそっくりだった娘だけれど、あれから3日か4日たった今ではガッツ石松の面影がどこをさがしても見つからない。もうすでにガッツ石松が懐かしいと、数日前のことを懐かしがる我々なのだ。今日はおっぱいを飲んだあとでおでこに皺を寄せている表情がバカボンのパパにそっくりだった。しかし数日後にはバカボンのパパさえ懐かしくてしかたなくなるのだろうなあ。
 昨晩妻は悪夢を2度みた。どちらも赤ちゃんがちゃんと生まれない夢だった。生まれた赤ちゃんが殻だけで、中身が空っぽだったりする。
 生まれてすぐはテレビを見せないほうがいいよ、という話なので、いまこの家はテレビ禁止になっているんだけど、『あまちゃん』だけは見てもいいルールができた。
 今日で娘の誕生から一週間。お祝いをする。僕はいま妻の実家のハナレに居候しているんで、妻のご両親とお寿司を食べる。尾頭つきの鯛の焼いたやつもごちそうになる。