風呂

 しばらく前から娘が湯船の中に立つようになった。それまでは私がお腹のあたりに娘を抱いて湯船に入れていたのだが、試しに一度、風呂桶のふちにつかまらせて、立つように促してみたら、娘は景色が変わったのがおもしろいのか、風呂桶のふちにつかまって洗い場にあるプラスチックのイスなんかをじっと眺めたりして、その日以降はもう湯船の中で立ち上がるのが楽しくてしょうがない。湯船の中でぐるぐるとつたい歩きをし、風呂の栓につながった鎖をひっぱったりして、もう、私がだっこするスキがない。

 今日は妻と娘とサイクリングがてらユーゲに行って来た。ユーゲでは妻の友人のエリちゃんがヒカリヤというお店を開いていた。これから月に一度ユーゲを借りてお店をするらしい。雑貨や切り干し大根などを売るらしい。エリちゃんは7ヶ月になるHちゃんをだっこして店番。ユーゲのAやんと三人で子育ての話などをしている。私はそれを聞いているフリをしつつだいたいは黙って笑いながらうなずいて時間を過ごす。帰りにコンビニでコーヒーを買い、ユーゲで買ったベーグルを食べながら河原で飲む。雨が降らなくて良かった。
 夕飯は麻婆豆腐。妻が料理をしていると、そのあいだじゅう娘は大泣きをする。私は汗びっしょりの娘をだっこして料理ができるのを待つ。妻は娘が泣くのが気になるのか、醤油をこぼし、頭をぶつけ、材料の分量を間違える。三人が三人ともつらい。やっぱし料理は俺が作ったほうがいいんでないの? ということになる。明日は俺が晩飯を作るぞ。
 料理がすんで食事の時間になると、娘は妻に引っ付いて離れない。

 群馬の絹産業遺跡群が世界遺産になったということで、テレビのニュースには富岡小学校の体育館にあつまった人々がうつる。あ、あそこで泣いているのは団しんやではないか? あ、女工のコスプレをしているあの人は中学校のときの音楽の先生ではないか? 子供のころ、富岡製糸にアイドル歌手が来るというので親に連れられて見に行ったことがある。その頃はまだ普通に操業していたのだったか、それとももう操業を停止していたのか。あの頃はまだ富岡製糸は一般公開はしていなくて、一年に一度、お祭りみたいなイベントがあって、そのときだけ私たち富岡市民は富岡製糸に入ることができたのだった。このお祭りにデビューしたばかりのアイドル歌手、井森美幸がやって来たのだった。「テレビに出ている人らしい」「下仁田の山の中の出身らしい」「若いのに人前であれだけ歌って踊れたらたいしたものだ」と、私たち富岡市民は感心しながら眺めたものだった。