子供の頃おぼえたミッキーマウスの歌に「僕らのクラスのリーダーだ」という歌詞があったけど、僕の家では娘がリーダーなんだな、とこのごろ思う。ととはこっちに行きなさい、かかはこれをしなさい、という娘の指示にしたがっていれば、たいていのことはしくじる心配がない、という気がする。昨日は天気がよくて暖かい日で、夕方に三人で賀茂川に散歩に行った。娘は水門のフタに興味をしめし、妻の手をひっぱってそちらに行こうとする。娘がフタの溝に落ちるのを心配した妻は娘をかばおうとしてあわててかがみ、水門のハンドルで頭を打った。おお、痛い、と痛がっていると、娘が妻の頭をなでてくれた。見てみろ、リーダーが部下を気遣うこの心配りを。このリーダーについて行けば間違いはおこりっこないのだ。

 「ごめん」という言葉を娘はおぼえた。「この言葉はおぼえておきなさい。上手に使えばきっとあなたの役に立つことでしょう」と妻が娘に言っているのを聞いて、そうか、言葉とは道具なんだな、生きて行く上で役に立つ実用的な道具なんだ、と思う。さっそく娘はままごとのお皿でコツンと私の頭をたたき「ごめーん、ごめーん」と笑顔で謝る。そうだそうだ、そうやってこの道具のうまい使い方を学ぶんだぞ。ととは少々痛くてもがまんするからな。