とろろ

 先週あたりから庄野潤三にはまってしまい、手当り次第に読んでいる。「静物」「プールサイド小景」からはじまって「佐渡」とか『夕べの雲』『ザボンの花』など。きっかけは以前妻が買って家にあった『親子の時間』という本。そうか、そんなことでも小説になるのか、という驚き。納豆をかき混ぜてたら糸がふわっとたなびいて、それをみた子供が毛虫をおもいだした、とか、たったそれだけの話を書いていたりする。小説って、こういうのでいいんだよな。こういう小説ならば僕も書いてみたい。

 大浦の細君は、最近、下の佐竹氏の奥さんからとろろ汁の食べかたについて聞いた。それによると佐竹さんでは、とろろ汁をこしらえる場合、すまし汁でなくて、味噌汁をまぜる。それを焚きだちの麦御飯の上にかけて食べる。この際、お菜にかならず塩鮭をつける。これはほかのどんな焼魚でも煮魚でも駄目で、塩鮭でないとおいしくない。
 それが、佐竹氏の奥さんのお国の仙台地方のとろろ汁の食べかたなのであった。
 大浦は細君の話を聞くと、
「それは、うまそうだ」
 といった。
「聞いただけで、分る」
「あたしも、おいしそうだなあと思いました。一回、やって見たくなりました」
「塩鮭に限るというのもいいな。それも分るような気がする。あつあつの味噌汁でといたとろろ。お櫃の蓋をとると、湯気が天井まで上るような焚きだちの麦御飯。空きっ腹で野良から戻って、こういうのを出されたら、いったい何杯くらい、食べるだろう」
 大浦は、満腹して、眠くなって、黒光りのした大黒柱にもたれて、くっつきそうな目を開けたり、閉じたりしている自分を想像してみた。
   庄野潤三夕べの雲

 というのを読んだ日にたまたま妻が山芋を買って来てくれた。ので、さっそく味噌汁でとろろをつくって食べたらこれがめちゃくちゃうまかった。味噌汁は濃いめにするのがポイントです。味噌汁というよりはお湯で溶いた味噌、みたいな感じで。

 僕が子供だった頃、父がときどき山芋を掘って来た。父の知り合いに高橋名人という山芋掘りの名人がいて、父は秋になると休みの日にその高橋名人と一緒に山に出かけて行き、大きな山芋を掘って来る。夕方、テレビで「笑点」を見ながら、父はすり鉢でごりごりと山芋をする。土の匂いがする。僕たち子供はすり鉢がころがらないようにおさえている役目だ。母が台所でうどんのおつゆをつくる。関東のおつゆだから濃口醤油で真っ黒の色をしているこのおつゆを少しさまして、鍋から少しずつすり鉢の中に注ぎ込む。ちょっとそそいではすりこぎでごりごりと混ぜ、またちょっと継ぎ足してはごりごり混ぜ。やがて「笑点」が終わる頃にはとろろが完成して、晩ご飯になる。僕たちはこのとろろが好きだった。とろろを食べたあとは決まって手や口のまわりがかゆくなる。山から掘って来たばかりの山芋だから、かゆくなる成分が強かったのか。
 
 庄野潤三は、十年くらい前にちょっと読んだ「秋風と二人の男」がなんとなく印象に残っている。おじさんが友達と飲みに行くだけの話だったと記憶している。家を出るときに奥さんがつくっていた巻き寿司をちょっともらって食べる、という場面の巻き寿司がうまそうだったなあ。巻き寿司のことはさらっと書いているだけで、詳しくは書かれていなかったと思うけど、なんかうまそうだったなあ、あの巻き寿司は。