トロッコ列車

 新緑の季節に嵐山のトロッコ列車に乗ったらさぞかし気持ちがいいことだろう、と思い土曜日の今日は家族三人でトロッコ列車に乗る。たとえば観光客が京都まで来たら清水寺とか金閣寺とかに行くので忙しいはずなのだから、わざわざトロッコ列車になんて乗らないだろう、たぶんそれほど混んでいないだろう、などという期待は大はずれでトロッコ列車は満員。乗客のほとんどは外国人だった。トロッコ列車の窓からは大きな川が見おろせてそこを観光客を乗せた船がくだって行く、列車の窓と船とで手をふり合う。窓が開いているからなのか、列車の走行音がけっこう大きな音で聞こえる。トンネルが多い。トンネルの中でけっこう長いこと停車する(そこが駅だったようだ)。もう娘は二歳と9ヶ月になろうとしている。人間が大人になっても覚えているいちばん古い記憶、というのは二歳半くらいのころの記憶だという話なので、娘は今こうやって暗いトンネルの中をガタンゴトンと走る列車の車内の暗さ、うるささ、というのを大人になっても忘れずに覚えているかもしれないなあ、などと思う。
 ノープランで来たので終点の亀岡についてもなにをしていいやら分からない。とりあえず駅のチープな食堂できつねうどんや天ぷらうどんを頼んで食べる(うどん屋の店員は外国人観光客のことを「海外さん」と呼んでいた、そんなのはじめて聞いた)。駅の外に出てソフトクリームを買って食べる。そして馬車に乗る。砂利道をパカポコと走る馬車でひとまわり、すこし離れたところに川、川をくだる船、手をふる船の人、川の向こうに緑の山、しかし山は新緑を楽しむにはすこし遠い。娘がじっと馬のお尻をみていると馬は走りながらおしっこをした。
 桑田神社という神社が山ぎわにあるのだけど、この神社をめざして歩いていくと急に大きくて古い家が道の両側に現れて、どうやらここらあたりは古くから人が住んでいるところらしい。橋のあたりで見た看板には明智光秀が山越えをした道、みたいなことが書かれていた。駅から見えていた住宅街は新しい家ばかりで、なんにもないところに来てしまったものだ、どうやって時間をつぶそうか、と思っていたのだが、こっちの桑田神社のあたりはすごくいい。さっきまで遠くにしか見えていなかった緑も急に目の前に近づいた感じがするのは家の庭に木が生えているからか。神社の入り口の石段のところなんて、もう、きれいな緑色のカエデの葉っぱが緑のトンネルみたいに頭の上にいっぱいで、これは見るからに涼しそうだし空気がきれいな感じがする。駅には観光客がぎっしりといたのに、この神社はしんと静まりかえっている。こういうところに俺は来たかったんだなあ! 来られてよかったなあ! と思う。しかし娘が「おしっこ」というので石段は登らず、鳥居の手前でひきかえす。駅には修学旅行の中学生なのか、高校生なのか、制服姿の子供たちがいる。女の子たちがトイレの前に3、4人いて、やけに楽しそうに笑っている。男子トイレでは男の子が便器に腰を押しつけるようにしておしっこをしている。自分のチンチンは誰にも見られないようにと隠しながら、横目でおとなのチンチンはどんなふうなのか、とさぐっている。そんな横目の男子にはさまれながら僕は便器の20センチくらいも遠くからおしっこをする。そんなに見たいのなら見せてやる。
 夕方、つんじの家で飲み会。東京からひさしぶりに寺田君がやってきたので、みんなで飲もう、という飲み会。ラップトップのコンピュータで寺田君の新曲を聴いたり。
 日が暮れてからハリーナのちんたら会。チョキチョキのユキさんに久しぶりで会う。元気そうでよかった。肌もつやつやしてる感じがした。さっちゃんに会ったのは何年ぶりか、もうすぐ二歳になるという女の子が酔っぱらいの中でたくましくもちを食べていたりして、「あんた、もちはまだ食べたらあかん」と注意されたりしてた。