昨日の続き

 高野山はまだ見たことがないからどんな山なのかはわからないけど、比叡山なら毎日見ている、僕が毎日見ている比叡山は大桁山に形が似ている、山の斜面の角度がそっくりだ、そう思って調べてみたら標高も同じくらいだった。比叡山は848メートルで大桁山は835メートル、13メートルしか違わない。それじゃあ高野山は何メートルだろうと調べてみると867メートルでこれもやっぱり標高が近い。このくらいの高さの山が修行でこもるにはちょうどいいということだったのか。だけど大桁山は当時の都からずいぶんと離れている。空海大本山を建てようとした、というのはちょっと嘘くさい。
 大桁山には送電線の鉄塔が三本くらい立っていて、それを見た妻はせっかくの美しい山を鉄塔が台無しにしている、と思ったみたいだけど、僕はそう言われるまでそんなこと考えもしなかった。鉄塔は僕が物心ついた時にはすでにそこに立っていて、僕は毎日鉄塔の突き刺さった大桁山を見ながら小学校に通っていたから、鉄塔は大桁山の風景の一部で大桁山を思い出そうとすれば鉄塔も一緒に思い出す。
 小さい頃、父親に連れられて父親の秘密の場所、というのに連れて行ってもらったことがある。それがどこかの山の鉄塔の土台のコンクリートの部分で、そこに座って広々とした下の景色を眺めた、というのをぼんやりと覚えているのだけど、あれは大桁山の鉄塔だったのか。