鳥羽

 今日と明日あたりは何十年かに一度の寒さがやって来る、大雪になるかもしれない、といううわさを聞いたため、今日は家から一歩も外に出ずに家族三人でストーブのある部屋に集まって過ごした。娘は人生初のクッキーづくり。このごろ娘は「おやつ」が食べたくてしょうがない。散歩に行くにもかならず「おやつもっていくー」と、小さなリュックサックにビスケットを入れて持って行き、公園の冷たいコンクリートのベンチに座って、儀式みたいに神妙な顔をして、小さなビスケットを少しずつ大切そうに食べる、というのがこのごろの週末の過ごし方だった。が、今日はとにかく室内で過ごす。ままごとをだいぶたくさんした。ままごとをするとき、親は真剣勝負だ。ままごとでの親の言葉づかい、しぐさ、声の大きさ、表情、などが娘の礼儀作法の教育になる。下手なことは言えない。俺は、今ここで無作法なこと、下品なことをしてしまっていないか、俺は娘からお茶碗を受け取る時にちゃんと両手で受け取っているのか、などとするどく自分を見張りながらのままごとだ。疲れて僕だけ昼寝をしたのだが、娘と妻はがんばって寝ずにままごとにはげんでいたようだ。昼寝から覚めると妻がお茶を沸かしてクッキーを出してくれた。

 そして先週の鳥羽旅行の話。
 鳥羽へは京都から近鉄に乗れば一本で行ける、なんて今までぜんぜん知らなかった。
 伊勢参り。外宮の参道に古いおもちゃ屋があり、おもてにずらりとお面が飾られている。娘は先々月あたりからお面に非常に興味を持っていて、アンパンマンのお面や仮面ライダーのお面などを興味深そうに見ていた。が、お面は買わず、たぶん昭和の頃につくられたかるたを買った。

 お面は家にひとつあるのだ。いや、ほんとうはおめんじゃなくて、だるま弁当のフタなんだけど。フタがだるまの顔になっている。娘はこのフタのことを「**ちゃん(自分の名前)の大事なおめん」と言っていて、非常に大切にしている。だから、そこに新しくお面を持ち込んでしまうと、娘とだるまのお面との間に水を差すようなことになるんじゃないかと思い、お面は買わなかった。かるたを買ったのはこれで娘に教育を、というもくろみもあるけど、本当のところは、印刷のずれたような昭和の絵が気に入ったから。
 お昼御飯を食べたのはウニの炊き込み御飯などを出す店だった。お盆の上に小鉢がいろいろ乗っている。どれも薄味。薄味というか、塩分がかなり少ない。けど、だしが効いているからぜんぜんうまい。ああ、こんだけだしがおいしかったら塩なんてほんのちょっと使うだけでいいんだよな、やっぱしちょっと奮発していいお店に入ったりすると勉強になるもんだ。
 外宮は太い木がぼんぼんと生えていて、新婚旅行で行った屋久島を思い出した。きっと大昔は日本全土にこんなふうな太い木が生い茂っていたんだろうな。お賽銭をして「マンマンチャン、アン」娘は手を合わせながらしきりと「大きくなりますように」とつぶやいていた。
 そして鳥羽まで電車にのり、旅館のマイクロバスで山を越えて相差へ。ヒノキの露天風呂。に家族三人で。いつもは父親か母親のどちらかとしかお風呂に入っていない娘は家族三人そろってお風呂に入るのがめずらしく、またうれしく、にこにことご機嫌だった。廊下の窓からは海が見える。お風呂上がりの娘はこの窓から砂浜を見おろして、「コンはどこにいるの?」とコンを探していた。コンとは、林明子の絵本『こんとあき』に出て来るキツネのぬいぐるみのこと。絵本の世界と現実とが娘の中ではつながっているのか。娘は人生初の海。だが、特に感動したふうでもなく、たんたんとこんを探していた。絵本で海を見たことがあるため、本物の海ももうすでに知っているもの、みたいに思っていたのだろうか。
 夕食は食べ終わるのに二時間かかった。あわびの刺身をたべると僕は子供の頃の祖父の法事を思い出す。法事で出されたごちそうの中にこりこりととても歯ごたえのいい食べ物があって、僕はそれがとてもおいしかった。あのこりこりした物をもういちど食べたいものだとずっと思っていたのだったが、大人になってから回転寿司かなにかでアワビを食べたら、これが子供の頃に食べたあのこりこりしたやつにそっくりだった。だけど、群馬の山奥のしょぼくれたスーパーマーケットとかであわびの刺身なんて売っていたんだろうか。今だったら物流も進んで寿司でも刺身でもなんでも群馬で食べられるけど、祖父の法事があったのは昭和50年代の終わり頃だ。東京の親戚の人とかがアワビを持って来てくれたりしたんだろうか。
 鳥羽水族館。セイウチのショーを見たらセイウチがとても大きい。こんなに大きかったのか、セイウチは。娘は怖がってずっと僕にしがみついていた。怖いけど、気になる。ので、僕にだっこでしがみつきながら首だけ後ろに向けてセイウチが「ブオ、ブオ、ブオ」と笑ったり、歯を磨いたりするのを見ていた。最後にセイウチにさわってもいいということになり、そうすると妻が目の色を変えて、絶対触っておいた方がいい、見ているだけでは分からない、触ってみて始めて分かることがある、と前に出て行くのだが、娘はセイウチが恐くて触るどころではない。けど、本当はちょっと触ってみたい。でも、あの巨体には圧倒されて、とても手なんて出せない。あとあとまで「トトとカカが触ったけど、**ちゃん(自分の名前)は触んなかったんだよ」と言っていた。
 すこしでも娘に本物を見せておきたい、と絵本で見て知っているワニだの亀だのペンギンだのラッコだのを片っ端から見せて行く。娘はラッコが好きなようで、けっこう長い時間じっと見ていた。
 「今日は特別におもちゃを買ってやろう」と、水族館内のおもちゃを売っている店にいく。群馬のひいおばあちゃんにもらったお金があるから、それで自分の欲しいと思うぬいぐるみをひとつ選びなさい。娘ははじめはプラスチックのステッキの先にチョウチョがついたおもちゃを気にしていたが、両親がぬいぐるみの方に注意をむけさせると、いくつかぬいぐるみを触って物色していた。ラッコもいいんじゃない? 亀さんもかわいいよ? が、僕がふと目を離したすきに娘は青い丸いペンギンを手にもっていて、「これにする?」という母親の言葉に力強くうなずき、さっさとレジに向かうのだった。娘がつかんだ瞬間からペンギンのぬいぐるみはたくさんあるぬいぐるみの中のひとつ、ではなくなり、かけがえのない、世界にひとつだけの娘のペンギンに変わっていた。みどりいろのビニールの袋に入れられたペンギンを最初は父親が持っていたのだったが、水族館を回る途中で娘はこれを袋からだして両手に抱き締め、あとはもう、家に帰るまでずっと離さない。とてもうれしそうだった。ペンギンと一緒だったらどこまででも走って行ける、みたいな感じで、水族館から鳥羽駅まではずっとダッシュ。「ぺんぎんさんの、ぬいぐるみ、ぺんぎんさんの、ぬいぐるみ」と調子を取って風に髪の毛をなびかせて走っていた。
 家にあるぬいぐるみは、グーグーマーマも、クーちゃんも、オニンギョちゃんも、娘は自分で選んだものではなく、おとなにもらったものだ。が、ペンギンのぬいぐるみは娘が人生で始めて自分で選んだぬいぐるみだ。
 駅で伊勢うどんを食べ、赤福を買って特急「しまかぜ」に乗り京都へ帰る。食堂車でケーキやサンドイッチなど。
 旅館のチェックアウトのとき、娘は旅館のおばさんにヤクルトをもらい、これを飲むのがずっと楽しみでしかたがなかった。電車に乗ったら飲もう、家に帰ったら飲もう、お風呂に入ったら飲もう、と延ばし延ばしで、結局家に帰って寝る前に飲んだ。人生初のヤクルト。