「ジミー・ペイジ=ノッポさん同一人物説」のことなど


オリンピックの閉会式ってすごいなあ。人がいっぱい空中につるされてるけど、おっかなくないのかしら。
ジミー・ペイジが元気そうで良かったなあ。
そういえば、二十歳くらいのころに僕が所属してたバンドのギタリストに「ジミー・ペイジノッポさん同一人物説」というのを教えてもらったっけか。ほんとに同じ人なのかな? 


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このごろ、現実とフィクションの関係みたいなことを考えているんだけど、誰かが頭の中で結構リアルに感じているフィクションというのは、現実よりもずっと強いんだな、と思う。強いというか、人間っていうのは、自分の頭の中のフィクションを通して世界を見ているんだろうなと思う。

たとえば、となりに住むおばさんは1000億円相続したらしい、という話を信じている人がいるとする。でも、現実には隣のおばさんは1000億円相続していない。しかし現実がどうであろうと、隣のおばさんは1000億円相続したのだと信じている人にとっては、世界は隣のおばさんが1000億円相続した世界に見えている。隣のおばさんがちょっと笑っても、その笑いはただの笑いに見えなくて、1000億円相続したけど、それを隠している人のズルい笑いに見えてしまう。
ジミー・ペイジノッポさんが同一人物だというのもフィクションなのじゃないか。
アイドルはウンコなんかしないというのもフィクションなのじゃないか。
恋愛がなにより大切だというのもフィクションなのじゃないか。
1万円札には1万円ぶんの価値があるというのもフィクションなのじゃないか。
お金持ちになったら幸せというのもフィクションなのじゃないか。
お金がなくても好きなことをして生きて行ければ幸せというのもフィクションなのじゃないか。
死んだら1000の風になってしまうというのもフィクションなのじゃないか。
鼻毛が出てたら恥ずかしいというのもフィクションなのじゃないか。


人は、いろんなフィクションを頭の中にインストールして生きているんじゃないか。
人が小説とか漫画とか映画とか演劇とかテレビドラマとかのフィクションを読んだり見たりするのは、新しいフィクションを頭にインストールして、世界を違ったふうに見られるようになるためなのじゃないかしら。