娘には人が死ぬということを隠して来た、というか、親も死ぬし自分も死ぬということを知ったときにかなりショックを受けるはずだから、そのショックを受ける時期をできるだけ先延ばしにしたい、という思いがあって、テレビで人が死んでもなんとなく「旅に出たんとちゃうか?」みたいな感じでぼやかして来たのだったが、去年の秋だったか、毎日見ていた朝ドラの「とと姉ちゃん」でとと姉ちゃんのお母さんが仏壇の中の写真になってしまったのを見たとき、娘は「お母さん死んだの?」と急にそんなことを言うものだから僕は「あれ? 死ぬとか、そういう概念を君はもう知っていたのか」とドキッとしたのだった。年末にやっていた「とと姉ちゃん」の総集編を録画して、何日かかけて全部みたんだけど、ととが死んだり、森田屋のおばあさんが死んだりすると娘はそのたびに「どうしたの?」「死んだの?」という。のだけど、人間が全員死ぬものだとはまだ思っていないようで、不運な人だけが死ぬのだろうなあ、みたいなふうに思っているようだ。が、テレビドラマで死ぬのはだいたい年寄りだ、どうやら年寄りは全員死ぬようだぞ、そして人は全員歳をとるようだぞ、と結びつけて行って、どうやら自分も死ぬ運命にあるらしい、と悟る日もそう遠くないような気がする。
とと姉ちゃん」のスピンオフの福助人形の話で森田屋の娘さん夫婦をもう一度見ることができたのは嬉しかったが、いかんせん話がつまらなかった。とってつけたような、無理矢理な、強引な、イージーな。と思ったらどうやら脚本を書いた人が本編の人と違う人のようだ。

次のベイチモのライブは1月8日。大阪の「塚本エレバティ」です。大阪方面のファンの方はぜひいらしてください。6時半開演で入場料は二千円です。