ミッキーを見ると涙が出ます

娘がディズニーランドに行きたいと言い出したのは3年くらい前だったか、そのうち連れて行くから、そのうちほんとに連れて行くからな、とディズニーランドの雑誌などを買ってディズニーランドに行ったらミニー・マウスの家に行ってみたいねえ、あのベッドはさぞかしふわふわなんだろうねえ、などと写真やら地図やらを眺めているうちに気がつけば娘はもう保育園の年長組でうかうかしているとすぐに小学生になってしまう、そうなると新幹線の乗車券を買うにもお金がいるようになるし、行くならば今年しかないだろう、ということに決まってはいたのだがしかしちょっとゆっくりしているともう夏だ、夏だと暑くて熱中症になっちゃうから夏にはディズニーランドに行かないが秋になるとハロウィーンハロウィーンのかぼちゃとかお化けとかは好きじゃないし、それならばクリスマスシーズンに行こうと思うが寒いのは嫌だ。というわけで11月16日、17日にディズニーランドとディズニーシーに行ってきたのだったが、妻が夜なべでせっせとディズニーランドの予習をしているのを横目で見ながら僕は娘と一緒に9時過ぎに寝てしまう、あるいは珍しく夜に目を覚ましていても関係ない本などをついつい読んでしまい、ディズニーランドの知識はほとんどゼロだしホテルの予約だの新幹線の切符だのディズニーランドの入場券だの全部妻に丸投げだ。妻と娘と妻のお母さんの後ろから、え? 次はどこに行くの? と言いながらついて行く。

ディズニーランドは時計回りで回ることでアメリカの歴史を過去から未来に向かってたどることができる、という情報を妻が仕入れてきたのは出発の前日だったか前々日だったか。しかし我々はまずミニー・マウスの家に行く、ということはもう3年前から決まっていたことで、だからまずアメリカの未来の建物の前を通ってトゥーンタウンに行く。ポップコーンを買う。パレードをみる。またトゥーンタウンに行く。その次にイッツ・ア・スモール・ワールドで船に乗る。それから飛び出す映画みたいなのをみる。ドナルド・ダックが画面から飛び出して来てもう少しで僕にぶつかるかと思った、水しぶきは実際に僕の顔にかかって冷たかった。画面から飛んで来た水が本当に僕の顔にかかったのはあれは絶対に気のせいじゃなかった。顔を触ったらちょっとぬれてた。本当に。それから晩めしを食う頃にはもうとっぷりと日が暮れている。ということは結局ディズニーランドの右半分しか見られていないということだ。左半分のアメリカの開拓時代の街並みなんかは、一応そっちにも行ったけど、もう夜だったから建物の様子なんかはよく見えなかった。それくらい広いんだ、ディズニーランドは。1日では見て回れない。乗り物なんかの順番待ちの人も多かったし。

 

パレードで遠くにミッキーの乗った山車が見えたとき、音楽を響かせながらミッキーがだんだん近づいてくるのを見たとき、ミッキーが大きく腕を振り回して右に左に手を降っているのを見たとき、ディズニーのアニメやキャラにはほとんど思い入れのなかった僕だったはずなのに急に目頭が熱くなったのはどういうわけだったのか。なんか、キリストが歩いてくるのを見た人とか、あるいはお釈迦様に会った人とか、大げさにいうとそんなふうな、ああ、あの人は本当にいたのだなあ、ありがたいなあ、と拝みたくなるような感じ。半端なことではない。ちょっと行列が途切れて、もうそろそろ終わりだろう、と思うとまだまだどんどんでっかい山車が出てくる。それがあともうちょっと続いたらもう飽きちゃうかも、という予感が頭に浮かびそうになる直前に最後の山車が通る、というタイミングが絶妙でその後を職員と観客が手拍子しながらぞろぞろついてきて、ついつい俺もついて行っちゃいそうになっちゃう、ハーメルンの笛吹き男っていうのもこういうふうな圧倒的な存在感、ワクワク感、みたいなのがあったんだろうな、と感心する。

ホテルに泊まり、二日目はディズニー・シーへ行く。昨日のディズニーランドでトム・ソウヤーの時代の風景を見ることができなかった、という後悔がだいぶ僕には響いていて(ディズニーランドに来る前は「娘が見たがっていたミニー・マウスの家だけ見られればいいだろう」などと思っていたはずだのにいざ来て見るともっといろんな風景を見ておきたい、こんなことならばきちんと予習をして臨むべきだったのだ、と悔やんでも悔やみきれない)、今日は全部の風景を見てしまおう、と地図を持って家族の先頭に立ちはや歩きだ。まず正面にでっかい山が見えたのがびっくりだ。あんなにでっかい山を作っちゃっていいの? たかがテーマパークのはずじゃないか、それだのにあの山はうちから見る比叡山ほどのボリュームがある! どれだけお金と時間と労力がかかっていることなのか、半端なことではない。我々が目指すのは人魚姫がいるエリアでそれが娘の希望なのだが、人魚姫エリアに行くにもなるべくいろんな風景が見られそうな道を選んで歩いた。人魚姫が宝物を隠しているという洞窟を見て、空からワイヤーで吊るされた人魚姫が空中でくるくる回るショーを見て、そのあと妻が予約しといてくれた昼飯を食うレストランまで行くのになるべく遠回りをしてアラビア風の建物やらインディー・ジョーンズが探検しているという中南米風の遺跡風の建物を見て、木造の橋を渡って、そうか、ディズニー・ランドとかディズニー・シーとかっていうのはジェット・コースターみたいなやつに乗るところだとばかり思っていたけれどそうじゃなかったんだ、いろんな風景を見て観光する場所だったのだ、歩いているだけで世界中の風景を見ることができる、こんな場所が日本にあるのならばわざわざ飛行機に乗って海外に行く必要なんてなかったのだなあ、と感心する。

レストランは予約席とそうじゃない席とが別の部屋になっていて、予約してない人の部屋は暗くて広い部屋にぎっしりと人が詰まっている、予約してる人の部屋は明るくて空席もちらほらあって天井も高いし窓から青空が見えるしのんびりゆったりと食事ができる。予約のあるなしでこうも違うものなのか。なんだか自分がセレブになったみたいな勘違いさえも覚えがちになりかける。スネ夫になった気分。

妻が抽選を当てた「ソング・オブ・ミラージュ」というショーをみる。生演奏。ミッキーだのドナルドだのが出て来て演技をするのを間近で見られるのが贅沢だなあ、と思うが娘はこれをどんな気持ちで見ているのか。興奮しているようでもなく、案外落ち着いて見ているようであるが。どうだった? と聞くと「楽しかった」と答える。

ニューヨークで船を見て野外のショーを遠くから肩車で眺めて新幹線で京都に帰る。行く前はディズニーランドになんて連れて行くのはこれが最初で最後だから覚悟しておくように、などと言っていたものだが、家に向かう地下鉄の中ではまた行きたいね、できれば来年行きたいね、来年無理ならば娘が小学生のうちにもう一度くらい行きたいね、などという話が出ている。次に行くときは絶対に開拓時代のアメリカの風景を見る、ミシシッピ川を行くあの白い船に乗ってみたい。

 

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ディズニーランド