「ポニョ」を観た

今ごろになってやっと『崖の上のポニョ』を観た。
いやー! すごい映画だった。あんまりすごいので泣きながら観た。クラゲがきれいなので泣き、ポニョの姉妹がかわいくて泣き、ポニョの入ってるバケツを抱えたそうすけが、「僕がポニョを守ってあげる」と言ったその声があまりに優しいので泣き、ポニョが海に連れ去られたあと、海に入って行くそうすけを連れ戻すりさのお母さんらしい必死さに泣き、家に帰って来られなくなった夫に「BAKABAKA」と信号を送るりさの夫を思う心に泣き、ふてくされて寝ている母の頭をなでてあげるそうすけの優しさに泣き、ポニョが「そうすけのとこに行く」つって、船に穴をあけて外に出てっちゃうそのパワーに泣き、、、いろんなところで泣いた。
ポニョがハムを好きだというのが宮崎駿らしいなー、と思った。健康マニアの人とかは、「ハムなんか食品添加物の固まりだ! あんなもの毒を食べてるようなものだ!」というようなことをいう。ポニョのお父さんも、人間の世界は汚れていると言って、ポニョがハムを食べたというと大げさに驚いたりしている。でも、汚いものや害になるものを排除してゆくのじゃなくて、汚いものや害になるものを取りこんで、一緒に生きて行きましょう、というのが宮崎駿の考えていることなんだろうなー、と思う。たしか、まんが版の『風の谷のナウシカ』も結末はそんな風だった。虫とか、気持ち悪いものも排除せず、口うるさいおばあちゃんも排除せず、ハムやラーメンなどのからだに良くないかもしれないものも排除せず、みんな一緒にどうにか共生してゆく道を探しましょう、という態度が、これからさき人類が滅びないためには必要なのかもしれない。

背景の絵とかが、林明子の絵本みたいでうんと良かった。この映画には直線がいっさい出てこなかったのじゃないかしら。そうすけの家の窓枠とか雨樋とか壁とかも、よれよれとひん曲がった線で描かれていて、そのだいたいでいいじゃん、みたいなリラックスした絵がとても良かった。クルマのナンバーが「333」というあり得ないナンバーでだったのもおもしろかったなあ。うねうねと高い波もあり得ない波だし、りさがソフトクリームをなめて急カーブを曲がる運転さばきもあり得ない運転だし、あり得ないものをすずしい顔して現前させちゃうというのが、アニメの良いところだなー。

ポニョがそうすけの言うことをいちいち繰り返すのが良かった。コミュニケーションの起源は、自分が「もしもし」と言ったら相手が「もしもし」と返してくれることだ、みたいなことを内田樹がどこかで書いていたけど、この応答の「もしもし」には、「あなたが私に向かって発信した『もしもし』という音を私は受け取りましたよ、そんでもって私は、あなたに向けて同じように『もしもし』を発信するのですよ」という情報が含まれている。コミュニケーションのおおもとにあるのは、そうやって送られて来たものを受け取って返すという単純なキャッチボールで、そうすけとポニョは、「ハム」って言ったら「ハム」って返すという単純なやり取りを通して、相手が今目の前にいることを喜びあい、祝福しあっているんだな、と思った。

うちに帰って、さっそくハムを載せたラーメンを食べた。

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本日の原爆タイプ。