バスの中で

 ぼくの部屋には弾かない楽器がいくつもあって、何年も前からずっとじゃまになり続けている。たとえば4年前に天神さんで買ったエレキ・ベース。

 4年前のぼくの部屋は地震のあとみたいにぐちゃぐちゃじゃないか。あのころはまだ古いiMacを使っていたんだな。それにしても本棚をバックにしてるもんだから、どこまでがベースでどこからが背景なのかよくわからなくなっちゃっているじゃないか。もっと白い背景はなかったのか。
 2005年11月25日の日記にはこう書いてある。
「今日は天神さんに行って来ました。
すりばちと、ベース・ギターを買いました。
ベースは30年以上前の(ひょっとすると40年くらい前の)もののようです。
うんと値切って、2500円で買いました。
ボディーの中身が空洞になっているので、ずいぶん軽いです。
さびだらけですが、音はちゃんと出ます。」
 このベースを見たときについつい欲しくなって買ってしまったのだけれども、結局4年間一度も弾かず、ずっとホコリをかぶって湿った部屋に放置されていたものだから、湿気で板がはがれて来てしまっていた。なんか、もう持っていてもしょうがないやという気になっていたので、こないだの休みの日に「えいやあ!」と思い切ってバスに乗り、楽器店に売りに行ったのだった。もうボロだし、状態も悪いし、売れるとしても1000円くらいだろう。ひょっとすると全然お金にはならず、ただで引き取ってもらうとか、そんなことになるのだろうと覚悟してバスに乗っていた。
 途中でバスに乗って来たおいさんが、
 「おにいさんベース弾くの?」
 とぼくに声をかけて来た。白髪の混ざった長い髪を野球帽で押さえつけているそのおいさんは、どことなく空耳アワーに出て来る安斎さんみたいな感じで、だけどもっとお金のなさそうな雰囲気で、それでもロックが好きで若い頃からずっとロックをつづけているんだ、みたいなおいさん。
 ぼくはベースをケースに入れずに裸のまま持ってバスに乗っていた。楽器店にベースを引き取ってもらったあとでベースのケースだけを持って帰るのはじゃまだなと思ったからなんだけど、ベースがむき出しになっていたものだから、おいさんがぼくのベースに目をつけて、
 「これは!」
 と、目の色を変えて、
 「ちょっといい?」
 と、ベースを手に持っていろいろとベースの話をしゃべりだした。
 「このころはね、グループ・サウンズのころで、今じゃ信じられないようなところがエレキだしてたりしてさ、これだってKAWAIでしょ? 俺もね、***(どこかの楽器メーカーの名前。忘れた)のエレキ持ってたけど、売っちゃってさ、あのころはこんな、今エレキなんて出してないでしょ? KAWAIとかさ。こういう会社があのころはいろんな変なの出しててさ、こういうのはね、コレクターがいてさ、けっこう、眺めるだけで弾かないで飾ってたりするんだけどさ、ものによっちゃけっこうな値段でこういうのは集める人とかいるからさ。ネックがほら、合板でしょ? こんなのないよ、普通。でもね、ほら、全然そってないでしょ? 合板のほうがそらないんだよね、それにさ、音もいいんだよ。一枚の木でつくったのよりさ、いい感じで乾いた音でさ、アコギなんて40年もたつとさ、木が枯れちゃって音が全然でなくなるの。でもこれ、エレキでしょ。こういうのはさ、俺もしりあいでこういうの安く直してくれる人いるけどさ、こういうピックアップのところから針金いれてさ、配線をこう、すげえ手間だけど、直して、これだって配線ちゃんとすればいい音でるよ、こういうのは。弦がさ、このころはフラットワウンドだから。ラウンドワウンドだとさ、ずっとはってると高い音が出なくなっちゃうけどさ、フラットワウンドはもともと丸い音だから、俺なんか一度はったらずっとかえないもん。へー。なに? 直しておにいさん弾くの? 俺もさ、足悪くしてから軽いのじゃなきゃだめでさ、これだって、なか空洞でしょ? これはいいよ。こういうのが俺ほしかったんだよな、これはだって目立つよ。だって、持ってる人いないもん、いまどき、こんな。俺ギターも弾くけど、あと、ドラムもやるけどさ、さすがにドラム・セットは買えないよ、場所ないもん、あんなの置く場所。俺もギターとベースいっぱいあるけどさ、こういう古いの直して弾くのがいいんだよな。お兄さんこれどこで買った? 天神さん? 俺もさ、天神さん良くいくけどさ、あそこで売ってるおっさんなんか値段しらないからさ、こないだもすげえいいのあったけど、おっさんぜんぜん値段わかんないからさ、2000円とか言って、すげえいいの買ってさ、2000円で。これはいいよ。こないだの天神さん? 俺も行ったけど、こないだの天神さんは。え? だいぶ前の? あ、そう。へー。いいのめっけたじゃん。これはなかなか、俺も天神さんよくいくけど、なかなかこんなの見ないもんな。でもさ、これ直すの結構かかると思うよ。俺の知り合いだったらこういうの直してる人いるから安くなおせるけど。へー。、、、もしさ、もしこれ、売るとしたらさ、いくらぐらい?」
 「いくらぐらいで売れるんでしょうね、こういうのは?」
 「まあ、一万かな」
 「ああ」
 「売る?」
 「え」
 「売る?」
 「あー」
 「8000円でいい?」
 「あー」
 「あ、でも今おれ、ちょっと待って。、、、いま万札しかないな、7000円だったらあるけど」
 「あー」
 「7000円じゃだめ?」
 「やー、ちょっと」
 「だめか、まあ」
 「そうですね」
 「じゃさ、コンビニでちょっと万札くずすから」
 「はあ」
 「降りよっか」
 と、いうわけで。僕らはコンビニの前のバス停で降りて、おいさんはコンビニでぼくに缶コーヒーを買ってくれて1万円札をくずし、それから8000円をぼくに渡すと、むき出しのエレキ・ベースを持って人ごみの中に消えて行ったのだった。
 すごいもうかったみたいな気がするけれども、ひょっとして出すところに出せばもっとすごいもうかることになったのかもしれない、などとちょっと損した気もする。けど、あのおいさんはいかにも楽器が好きそうだったし、ぼくが持っていても宝の持ち腐れだったので、これで良かったのだと思う。