回転寿司

 夕方、妻は保育園のお迎えから帰って来るとすぐに晩ご飯をつくりはじめる。妻が晩ご飯を作っている間、僕と娘は二人でテレビの前に座り、録画しておいた「フック・ルック・ボー」を見る。この習慣はひと月ほど前から始まったのだったか。「フック・ルック・ボー」は本当は「フック・ブック・ロー」という。娘はこれがうまく発音できなくて「フック・ルック・ボー」になり、それがかわいらしいので僕も特に訂正せず、娘に合わせて、
「よーし、『フック・ルック・ボー』でも見るか」
 といっていた。娘はすぐにこの僕の言葉を覚えてしまい、このごろでは玄関で靴を脱ぎながら僕の顔を見上げて、
「『フック・ルック・ボー』でも見るか」
 というのがだいたい毎日決まりになっている。
 「フック・ブック・ロー」は「日々はんせい堂」という名の書店が舞台になっている人形劇で、4、5人の人形が書店の店主やその孫娘を演じている。その人形たちの中に一人だけ人間が混じっている。名前をケッサク君と言って、この人は書店で住み込み(なのだと思う、たぶん)で働いているらしい。1回の放送時間は10分で、この10分の中に2曲か3曲歌が歌われる。ケッサク君がギターを弾き、他の人形たちはドラムをたたいたりサックスを吹いたり歌を歌ったりする。
 こないだ見た「フック・ルック・ボー」は、日々はんせい堂の人たちがみんなで回転寿司を食べに行く、という話だった。今日のお昼ご飯はお寿司を食べに行く、しかも書店の店主のモクジイがおごってくれる、ということでみんな喜ぶのだけれど、ケッサク君は暗い顔をして、
「せっかくだけど、僕は行かない、僕は留守番をしている」
 という。なぜかというと、ケッサク君は回転寿司で目当てのお皿が流れて来ると、はたして自分は本当にこのお皿のお寿司が食べたいのだろうか、このお寿司を自分よりももっと食べたがっている人が他にいるのではないか、などと考えてしまい、そうやって考えているうちにお皿は目の前を通り過ぎて行き、結局何も食べることができない。だから回転寿司ならば僕は行かない。その話を聞いて、近所に住むゴージ君、ダツジ君たちが回転寿司をとる特訓をしてくれる。この特訓のあいだに、ゴージ君とダツジ君は昔シブガキ隊が歌っていた「寿司くいねえ」を歌ったりする。特訓のおかげでケッサク君は流れて来る寿司をとれるようになり、回転寿司では腹一杯お寿司を食べることができた。最後はみんな満足そうな笑顔を浮かべ、お腹をさすりながらゆっくりと、幸せそうに日々はんせい堂に戻って来る。最後に店に入って来たモクジイは財布を逆さにしてそれがからっぽであることを示して、
「特訓なんかしなけりゃよかった、くすん」
 というオチがついて終わる。
 回転寿司を見たり聞いたり食べたりするとき、僕は小学校の3年、5年、6年のときに担任だった清水先生を思い出す。
 ホームルームの時間か何かに、清水先生は「昨日、回転寿司を食べに行ったんだ」という話をした。清水先生は回転寿司に行ったらまずマグロの赤身を食べる決まりになっている。そのあとで何と何と何を食べて、最後はまたマグロの赤身を食べて終わりにするのだ、という話で、それを聞いた僕は「そうか、これがおとなの寿司の食べ方なのか、マグロで初めてマグロでしめてこそ、お寿司のうまさをきちんと味わうことができるのだな」と思い、それ以来「これが本当の寿司の食べ方だ」と信じて清水先生の言葉に従って生きて来たのだったが、しかし考えてみれば新卒で僕らの小学校に来た清水先生はあの時まだ20代前半だった。20代前半なんていえば、37歳の僕から見ればまだまだぜんぜん若い。ほとんど子供だ。そんな子供みたいな若い人から教わった寿司の食べ方をずっと守って37歳まで生きてしまった。考えてみれば寿司の食べ方にそんな決まりなんてないんだった。「フック・ブック・ロー」を見ていても、「最初と最後はやっぱりマグロでしょう」などという人は誰もいない。「私はイクラから食べよう」とか、「おれ、赤貝とカッパ巻き」とか、てんでに好き勝手なことを言っている。いきなり赤貝を食べる、いきなりイクラから始める、なんていう自由な食べ方だってあったんだ。