詩人

 『若き詩人』という映画を見るために大阪のシネ・ヌーヴォまで行ってきた。初めて行く映画館。九条にある。大阪の地理はあまり詳しくないので、九条と聞くとなんだか南のはずれにあるような気がして、京都から行くにはさぞかし遠いんじゃなかろうか、と思う。が、梅田まで行ってしまえばそこからはわりと近かった。
 駅を出ると目の前にアーケードの商店街が一直線にのびている。ああ、こういうアーケードの感じはいいなあ、と思う。飲み屋とかカレー屋とかがあって、「なぜ俺はもっと早く家をでて一時間か二時間まえにここについてあのカレー屋とかうどん屋とかで晩ご飯を食べるということを思いつかなかったのか、もう映画が始まるまでいくらも時間がないじゃないか、しかたがない、コンビニで菓子パンでも買って歩きながら食べるか」と思い、そのようにする。
 シネ・ヌーヴォーにはたまげた。僕が知っているどの映画館とも違う。まず入り口から受付にかけて、映画の本やビデオやサントラのCDなんかが並んでいて、それがどうやらどれもその場で買えるらしい。
 ロビーがまたすごい。壁じゅうサインだらけだ。映画監督とか俳優とか詩人とか。棚には『キネマ旬報』がずらりと並んでいる。一番古いのは1960年代ころのもので、背がすっかり茶色くなっている。ああ、これは本当に映画が好きな人がやっている映画館なんだな。天井がなんだか汚れているみたいだ、と思って上を見たら、天井には水面が描かれていた。普通に小学校とかの天井みたいな良くある天井なんだけど、それが灰色に塗られていて、そこに白い絵の具でゆらゆらと水の底から見上げた水面の絵が描かれていた。
 『若き詩人』はフランスのあまり名前の知られていない監督(ダミアン・マニヴェルさん)の作品だから、それほどお客さんは多くないのかも知れない、と思っていたらそんなことはない。いかにも映画が好きそうな人たちがロビーにはぎゅうぎゅうで、そこらじゅうで挨拶が交わされている。
 で、開場して、スクリーンのある部屋にはいったらここの天井にも水面が描かれている。のだけど、ただの水面じゃなくて、たぶんこれは水底から見上げた太陽の絵なんだろうな。白いおおきな輪っかが天井いっぱいに広がっている。真ん中の太陽のある位置には照明がくっついている。けど、太陽はちょくせつは見えない。水面に浮かんだ葉っぱか何かが照明の下にぶら下がっていて、それが逆光で黒く見える。
 映画は僕は好きな作品だった。内容、感想はまた後日書く。
 映画のあと、アコちゃんと再会。何年ぶりか。たしか最後にあったのは「かやこのへそ」という演劇作品を僕が上演したときだったから、ということは僕がこのブログを書き始めた頃だったから、2008年だから、9年ぶりか! そんなになるのか! いや、計算を間違えた。7年ぶりか。今年が2015年だから。
 アコちゃんがいっぱいおごるよ、というので、うちあげについて行く。『若き詩人』は今日が初日。だったので、フランスからやって来た監督のダミアンさんとか、映画館の支配人とか、映画館の人とか、通訳の人とか。
 アフタートークで司会をしていた女の人が自転車で商店街をいったり来たりして飲み屋をさがしてくれた。が、飲み屋はどこも満席で「餃子の王将」で飲むことになる。僕は支配人の隣の席。ビールを飲みながら、
「詩人は日本ではもうとても少なくなってしまった。昔はいっぱいいたんだけど、最近の若い人はもう詩なんて書かないのかな」
 と支配人は言っていた。
「今はミュージシャンが詩人の代りなんじゃないですか」
 と僕は言ってみた。
 帰り道、淡路の駅で乗り換えの電車を待っていると、高校生くらいのBボーイが6、7人で「俺たちの自由の……」と、ラップで会話をしていた。詩人は今ではラッパーになっているんじゃないのか。ただ詩を書くだけではなかなか人に伝わらない。であれば、リズムにのせるとかメロディーにのせるとかした方が人にとどけやすいんじゃないか、ということに詩人は気がついた、だから今では詩人はただの詩人でいるよりもミュージシャンやラッパーになることを選ぶんじゃないか。