イギリス旅行5日目

1997年9月1日(月)

午前11時10分

 バースのYHではいろんな人と話した。2人日本から来た人にも会った。でも、とにかく順を追って書くことにする。
 バースにつくと、またうろうろした。2時間くらい歩き回った。北の方にどんどん行ってしまって、地図に載ってない所まで行ってしまった。そしてそこで、人に忘れられた墓地を見た。木や蔦や苔や草などにおおわれた墓地。奥の方は人が入った形跡がない。道端にあるのでペットボトルとか、ゴミがちらほら捨てられている。
 ところで、イギリスの女の人は、Tシャツの乳首の所がぷくっとなってる人がよくいる。
 くたくたになってやっと町の中心にもどる。そこで千円くらいでピツァとコークをたのむ。ウェイトレスは早口でなんか言ってよく聞きとれない。パードゥンと言って聞き直しても丁寧におしえてくれない。感じわるい。こういう人間にはなりたくないと思った。
 ここのめしは最後まで食べられなかった。もさもさしていて、とてものどをとおらない。失意のうちにレストランをさる。もう高いものを食うのはやめようと思う。高くてもどうせまずいのだ。
 ここのレストランで赤服の日本人を見かけた。
 8時くらいにYHに向かう。坂をえんえんと登るけれど、思ったほどきつくなかった。こういう所で楽をせずに、適度に不便に生きるのが人生において大事なのかもしれないと、丘山先生が本に書いていたことを考えてみた。坂にそって続く家はかっこよかった。バースの街はずれの家もかっこよかった。ちょっとブルーになると、カンタベリーは良かったなあなんて思うのだけれど、でも、バースも良い所である。街が、家々が、古めかしくて、渋い。
 YHにはレストランにいた赤服がいた。少ししゃべくる。部屋に行くと、そこにも日本人がいた。でも、その人は朝鮮人で、日本生まれの日本育ちであった。
 その人ははっきり言って英語は下手だ。発音も悪いし、センテンスを作る力も僕と同じくらいだ。でも、外人と良く話していた。同室のフランス語を勉強しているシドニー人とカタコトの英語で楽しそうにしゃべってた。
 それを見ていて僕は思ったのだけれど、大切なのは英語力ではなく、積極性と社交性である。どんどん話しかければ、僕くらいの英語力でも十分に外国人とのコミュニケーションがとれるのだ。
 彼とはいろいろ話した。明大の2部で3年で神奈川に住んでる。大韓航空で来た。ストラトフォードに昨日までいた。など。
 こういった風にいろんな人としゃべくるのが楽しいのに、僕はしゃべくらない。もっとしゃべくらねば……。
 朝めしはカンタベリーと似たようなものだった。
 YHを出ると、白人男性が後ろから来て、一緒に行こうと言った。そして、景色の良い近道を教えてくれた。街を見おろす土の細い道。こういうのはいいなあと思う。彼はビスケットをくれた。ここで同室のジュンギだったら、いろいろとしゃべくるのだろうなと思う。でもまあ、これは僕の性格だし、田の内先生も性格は変えられないと言うし、しかたないかなと思いつつ黙っている。でも、性格特性は変えられるのだし、Where are you from? くらいなら僕だってきけるのだから、なるべく話すべきであろう。それに、これは性格だから…とあきらめてしまえば、僕の人生はこのまま好転せず、ずっとだんまりになってしまうような気もする。楽しい人生にすべく努力はすべきであろう。
 バックパッカーと別れてローマン・バスに向かう。1200円もする。
 道で、YHで見かけた白人に会釈をして駅にくる。9ポンド40ペンスのソールズベリー行きの切符を買う。バースは良い所だし、もっといたいような気もするけれど、昨日いっぱい歩いたし、まあいいか。