たばこのにおいと骨のにおい

 きのう僕の部屋にあそびに来た人たちがみんなでものすごい量のたばこをすったものだからどうも部屋がたばこくさくなってしまった。きのうの夜みんなが帰ったあとで窓を開けて部屋に空気を通して、これでもう大丈夫だろうと思って眠ったのだけれど、二十四時間経った今でもどうもまだにおいが残っている。
 今朝は目が覚める直前にひいばあちゃんを火葬にしたときの夢をみたんだけど、あれはきっとこのたばこのにおいのせいだ。僕のまわりはぼんやりと明るくて、形のはっきり分かるものは何も見えなくて、ただクリーム色っぽい空気に包まれてるみたいな感じで、まわりの状況は何も分からず、火葬のにおいをえんえんとかがされ続けるという夢だった。火葬のにおいというか、火葬にした骨のにおい。あれが噂に聞くにおいだけの夢というものだったのかしら。
 ひいばあちゃんを火葬にしたのはいまから二十五年くらい前だけど、そのときにかいだにおいを僕はまだ覚えていて、そのにおいがちょうどいま僕の部屋にある空気のにおいと同じようなにおいだったなと僕は思う。でも今回このたばこのにおいを眠りながらかぐまで、ひいばあちゃんを火葬にしたときのにおいを僕は忘れていた。覚えてるんだけど、忘れていた。忘れていたんだけど、同じようなにおいをかいだら思い出した。そうそう、たしかこんなにおいだったねー。黄色っぽい骨をみんなして長いお箸でつまんでいたっけなー。ひいばあちゃんは確か亡くなる前に腰を悪くしていたんだけど、火葬にした骨の腰の部分が、僕の記憶の中では紫色っぽく変色している。
 そういえば、ひいばあちゃんは腰がすごくまがっていた。僕の記憶のなかではほとんど九十度に腰がまがっていて、しらがが灰色っぽくつやつや光る髪をひっつめにして、紫の細い縞の入った灰色っぽい服を着てゆっくりと歩き、子どもの僕がひいばあちゃんの住む家に遊びに行くと、千切りのキャベツをだしてくれる。その千切りのキャベツを食べることが僕は大好きで、もりもりとすごい勢いで食べるんだけど、ひいばあちゃんがそのキャベツにかけてくれていたのが醤油だったかソースだったか、どっちだったかということが思い出せない。
 ひいばあちゃんが亡くなったのはちょうど今頃の季節だったような気がするんだけど、いつだったんだっけか。四月一日だったっけ? 四月八日だったっけ? それとも全然別の時期だったんだっけ?
 いまでは、ひいばあちゃんの子どもである僕のおじいちゃんも死んでしまった。おじいちゃんの骨も、僕たちは長いお箸でつまんだ。おじいちゃんの骨からは何もにおいがしなかったように思う。